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それから 四の四

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それから 四の四

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夏目漱石

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 平岡の細君は、色の白い割に髪の黒い、細面に眉毛の判然映る女である。一寸見ると何所となく淋しい感じの起る所が、古版の浮世絵に似てゐる。帰京後は色光沢がことに可くないやうだ。始めて旅宿で逢つた時、代助は少し驚ろいた位である。汽車で長く揺られた疲れが、まだ回復しないのかと思つて、聞いて見たら、左様ぢやない、始終斯うなんだと云はれた時は、気の毒になつた。

 三千代は東京を出て一年目に産をした。生れた子供はぢき死んだが、それから心臓を痛めたと見えて、兎角具合がわるい。始めのうちは、ただ、ぶら/\してゐたが、何うしても、はか/″\しく癒らないので、仕舞に医者に見て貰つたら、能くは分らないが、ことに依ると何とかいふ六づかしい名の心臓病かも知れないと云つた。もし左様だとすれば、心臓から動脈へ出る血が、少しづゝ、後戻りをする難症だから、根治は覚束ないと宣告されたので、平岡も驚ろいて、出来る丈養生に手を尽した所為か、一年許りするうちに、好い案排に、元気が滅切りよくなつた。色光沢も殆んど元の様に冴々して見える日が多いので、当人も喜こんでゐると、帰る一ヶ月ばかり前から、又血色が悪くなり出した。然し医者の話によると、今度のは心臓の為ではない。心臓は、夫程丈夫にもならないが、決して前よりは悪くなつてゐない。弁の作用に故障があるものとは、今は決して認められないといふ診断であつた。――是は三千代が直に代助に話した所である。代助は其時三千代の顔を見て、矢っ張り何か心配の為ぢやないかしらと思つた。

 三千代は美くしい線を奇麗に重ねた鮮かな二重瞼を持つてゐる。眼の恰好は細長い方であるが、瞳を据ゑて凝と物を見るときに、それが何かの具合で大変大きく見える。代助は是を黒眼の働らきと判断してゐた。三千代が細君にならない前、代助はよく、三千代の斯う云ふ眼遣を見た。さうして今でも善く覚えてゐる。三千代の顔を頭の中に浮べやうとすると、顔の輪廓が、まだ出来上らないうちに、此黒い、湿んだ様に暈された眼が、ぽつと出て来る。

 廊下伝ひに坐敷へ案内された三千代は今代助の前に腰を掛けた。さうして奇麗な手を膝の上に畳ねた。下にした手にも指輪を穿めてゐる。上にした手にも指輪を穿めてゐる。上のは細い金の枠に比較的大きな真珠を盛つた当世風のもので、三年前結婚の御祝として代助から贈られたものである。

 三千代は顔を上げた。代助は、突然例の眼を認めて、思はず瞬を一つした。

 汽車で着いた明日平岡と一所に来る筈であつたけれども、つい気分が悪いので、来損なつて仕舞つて、それからは一人でなくつては来る機会がないので、つい出ずにゐたが、今日は丁度、と云ひかけて、句を切つて、それから急に思ひ出した様に、此間来て呉れた時は、平岡が出掛際だつたものだから、大変失礼して済まなかつたといふ様な詫をして、

「待つてゐらつしやれば可かつたのに」と女らしく愛想をつけ加へた。けれども其調子は沈んでゐた。尤も是は此女の持調子で、代助は却つて其昔を憶ひ出した。

「だつて、大変忙しさうだつたから」

「えゝ、忙しい事は忙しいんですけれども――好いぢやありませんか。居らしつたつて。あんまり他人行儀ですわ」

 代助は、あの時、夫婦の間に何があつたか聞いて見様と思つたけれども、まづ已めにした。例なら調戯半分に、あなたは何か叱られて、顔を赤くしてゐましたね、どんな悪い事をしたんですか位言ひかねない間柄なのであるが、代助には三千代の愛嬌が、後から其場を取り繕ふ様に、いたましく聞えたので、冗談を云ひ募る元気も一寸出なかつた。