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それから 五の二

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それから 五の二

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夏目漱石

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 翌日、代助が朝食の膳に向つて、例の如く紅茶を呑んでゐると、門野が、洗ひ立ての顔を光らして茶の間へ這入つて来た。

「昨夕は何時御帰りでした。つい疲れちまつて、仮寐をしてゐたものだから、些とも気が付きませんでした。――寐てゐる所を御覧になつたんですか、先生も随分人が悪いな。全体何時頃なんです、御帰りになつたのは。夫迄何所へ行つて居らしつた」と平生の調子で苦もなく舌り立てた。代助は真面目で、

「君、すつかり片付迄居て呉れたんでせうね」と聞いた。

「えゝ、すつかり片付けちまいました。其代り、何うも骨が折れましたぜ。何しろ、我々の引越と違つて、大きな物が色々あるんだから。奥さんが坐敷の真中へ立つて、茫然、斯う周囲を見回してゐた様子つたら、――随分可笑なもんでした」

「少し身体の具合が悪いんだからね」

「どうも左様らしいですね。色が何だか可くないと思つた。平岡さんとは大違ひだ。あの人の体格は好いですね。昨夕一所に湯に入つて驚ろいた」

 代助はやがて書斎へ帰つて、手紙を二三本書いた。一本は朝鮮の統監府に居る友人宛で、先達て送つて呉れた高麗焼の礼状である。一本は仏蘭西に居る姉婿宛で、タナグラの安いのを見付けて呉れといふ依頼である。

 昼過散歩の出掛けに、門野の室を覗いたら又引繰り返つて、ぐう/\寐てゐた。代助は門野の無邪気な鼻の穴を見て羨ましくなつた。実を云ふと、自分は昨夕寐つかれないで大変難義したのである。例に依つて、枕の傍へ置いた袂時計が、大変大きな音を出す。夫が気になつたので、手を延ばして、時計を枕の下へ押し込んだ。けれども音は依然として頭の中へ響いて来る。其音を聞きながら、つい、うと/\する間に、凡ての外の意識は、全く暗窖の裡に降下した。が、たゞ独り夜を縫ふミシンの針丈が刻み足に頭の中を断えず通つてゐた事を自覚してゐた。所が其音が何時かりん/\といふ虫の音に変つて、奇麗な玄関の傍の植込みの奥で鳴いてゐる様になつた。――代助は昨夕の夢を此所迄辿つて来て、睡眠と覚醒との間を繋ぐ一種の糸を発見した様な心持がした。

 代助は、何事によらず一度気にかゝり出すと、何処迄も気にかゝる男である。しかも自分で其馬鹿気さ加減の程度を明らかに見積る丈の脳力があるので、自分の気にかゝり方が猶眼に付いてならない。三四年前、平生の自分が如何にして夢に入るかと云ふ問題を解決しやうと試みた事がある。夜、蒲団へ這入つて、好い案排にうと/\し掛けると、あゝ此所だ、斯うして眠るんだなと思つてはつとする。すると、其瞬間に眼が冴えて仕舞ふ。しばらくして、又眠りかけると、又、そら此所だと思ふ。代助は殆んど毎晩の様に此好奇心に苦しめられて、同じ事を二遍も三遍も繰り返した。仕舞には自分ながら辟易した。どうかして、此苦痛を逃れ様と思つた。のみならず、つく/″\自分は愚物であると考へた。自分の不明瞭な意識を、自分の明瞭な意識に訴へて、同時に回顧しやうとするのは、ジエームスの云つた通り、暗闇を検査する為に蝋燭を点したり、独楽の運動を吟味する為に独楽を抑へる様なもので、生涯寐られつこない訳になる。と解つてゐるが晩になると又はつと思ふ。

 此困難は約一年許りで何時の間にか漸く遠退いた。代助は昨夕の夢と此困難とを比較して見て、妙に感じた。正気の自己の一部分を切り放して、其儘の姿として、知らぬ間に夢の中へ譲り渡す方が趣があると思つたからである。同時に、此作用は気狂になる時の状態と似て居はせぬかと考へ付いた。代助は今迄、自分は激昂しないから気狂にはなれないと信じてゐたのである。