← 作品

それから 七の二

title

それから 七の二

author

夏目漱石

body

 代助が三千代と知り合になつたのは、今から四五年前の事で、代助がまだ学生の頃であつた。代助は長井家の関係から、当時交際社会の表面にあらはれて出た、若い女の顔も名も、沢山に知つてゐた。けれども三千代は其方面の婦人ではなかつた。色合から云ふと、もつと地味で、気持から云ふと、もう少し沈んでゐた。其頃、代助の学友に菅沼と云ふのがあつて、代助とも平岡とも、親しく附合つてゐた。三千代は其妹である。

 此菅沼は東京近県のもので、学生になつた二年目の春、修業の為と号して、国から妹を連れて来ると同時に、今迄の下宿を引き払つて、二人して家を持つた。其時妹は国の高等女学校を卒業した許で、年は慥十八とか云ふ話であつたが、派出な半襟を掛けて、肩上をしてゐた。さうして程なくある女学校へ通ひ始めた。

 菅沼の家は谷中の清水町で、庭のない代りに、椽側へ出ると、上野の森の古い杉が高く見えた。それがまた、錆た鉄の様に、頗る異しい色をしてゐた。其一本は殆んど枯れ掛かつて、上の方には丸裸の骨許残つた所に、夕方になると烏が沢山集まつて鳴いてゐた。隣には若い画家が住んでゐた。車もあまり通らない細い横町で、至極閑静な住居であつた。

 代助は其所へ能く遊びに行つた。始めて三千代に逢つた時、三千代はたゞ御辞儀をした丈で引込んで仕舞つた。代助は上野の森を評して帰つて来た。二返行つても、三返行つても、三千代はたゞ御茶を持つて出る丈であつた。其癖狭い家だから、隣の室にゐるより外はなかつた。代助は菅沼と話しながら、隣の室に三千代がゐて、自分の話を聴いてゐるといふ自覚を去る訳に行かなかつた。

 三千代と口を利き出したのは、どんな機会であつたか、今では代助の記憶に残つてゐない。残つて居ない程、瑣末な尋常の出来事から起つたのだらう。詩や小説に厭いた代助には、それが却つて面白かつた。けれども一旦口を利き出してからは、矢っ張り詩や小説と同じ様に、二人はすぐ心安くなつて仕舞つた。

 平岡も、代助の様に、よく菅沼の家へ遊びに来た。あるときは二人連れ立つて、来た事もある。さうして、代助と前後して、三千代と懇意になつた。三千代は兄と此二人に食付いて、時々池の端抔を散歩した事がある。

 四人は此関係で約二年足らず過ごした。すると菅沼の卒業する年の春、菅沼の母と云ふのが、田舎から遊びに出て来て、しばらく清水町に泊つてゐた。此母は年に一二度づつは上京して、子供の家に五六日寐起する例になつてゐたんだが、其時は帰る前日から熱が出だして、全く動けなくなつた。それが一週間の後窒扶斯と判明したので、すぐ大学病院へ入れた。三千代は看護の為附添として一所に病院に移つた。病人の経過は、一時稍佳良であつたが、中途からぶり返して、とう/\死んで仕舞つた。それ許ではない。窒扶斯が、見舞に来た兄に伝染して、是も程なく亡くなつた。国にはたゞ父親が一人残つた。

 それが母の死んだ時も、菅沼の死んだ時も出て来て、始末をしたので、生前に関係の深かつた代助とも平岡とも知り合になつた。三千代を連れて国へ帰る時は、娘とともに二人の下宿を別々に訪ねて、暇乞旁礼を述べた。

 其年の秋、平岡は三千代と結婚した。さうして其間に立つたものは代助であつた。尤も表向きは郷里の先輩を頼んで、媒酌人として式に連なつて貰つたのだが、身体を動かして、三千代の方を纏めたものは代助であつた。

 結婚して間もなく二人は東京を去つた。国に居た父は思はざるある事情の為に余儀なくされて、是も亦北海道へ行つて仕舞つた。三千代は何方かと云へば、今心細い境遇に居る。どうかして、此東京に落付いてゐられる様にして遣りたい気がする。代助はもう一返嫂に相談して、此間の金を調達する工面をして見やうかと思つた。又三千代に逢つて、もう少し立ち入つた事情を委しく聞いて見やうかと思つた。