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それから 十一の六

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それから 十一の六

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夏目漱石

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 何か事が起つたのかと思つて、上り掛けに、書生部屋を覗いて見たら、直木と誠太郎がたつた二人で、白砂糖を振り掛けた苺を食つてゐた。

「やあ、御馳走だな」と云ふと、直木は、すぐ居ずまひを直して、挨拶をした。誠太郎は唇の縁を濡らした儘、突然、

「叔父さん、奥さんは何時貰ふんですか」と聞いた。直木はにや/\してゐる。代助は一寸返答に窮した。已を得ず、

「今日は何故学校へ行かないんだ。さうして朝つ腹から苺なんぞを食つて」と調戯ふ様に、叱る様に云つた。

「だつて今日は日曜ぢやありませんか」と誠太郎は真面目になつた。

「おや、日曜か」と代助は驚ろいた。

 直木は代助の顔を見てとう/\笑ひ出した。代助も笑つて、座敷へ来た。そこには誰も居なかつた。替え立ての畳の上に、丸い紫檀の刳抜盆が一つ出てゐて、中に置いた湯呑には、京都の浅井黙語の模様画が染め付けてあつた。からんとした広い座敷へ朝の緑が庭から射し込んで、凡てが静かに見えた。戸外の風は急に落ちた様に思はれた。

 座敷を通り抜けて、兄の部屋の方へ来たら、人の影がした。

「あら、だつて、夫ぢや余まりだわ」と云ふ嫂の声が聞えた。代助は中へ這入つた。中には兄と嫂と縫子がゐた。兄は角帯に金鎖を巻き付けて、近頃流行る妙な絽の羽織を着て、此方を向いて立つてゐた。代助の姿を見て、

「そら来た。ね。だから一所に連れて行つて御貰よ」と梅子に話しかけた。代助には何の意味だか固より分らなかつた。すると、梅子が代助の方に向き直つた。

「代さん、今日貴方、無論暇でせう」と云つた。

「えゝ、まあ暇です」と代助は答へた。

「ぢや、一所に歌舞伎座へ行つて頂戴」

 代助は嫂の此言葉を聞いて、頭の中に、忽ち一種の滑稽を感じた。けれども今日は平常の様に、嫂に調戯ふ勇気がなかつた。面倒だから、平気な顔をして、

「えゝ宜しい、行きませう」と機嫌よく答へた。すると梅子は、

「だつて、貴方は、最早、一遍観たつて云ふんぢやありませんか」と聞き返した。

「一遍だらうが、二遍だらうが、些とも構はない。行きませう」と代助は梅子を見て微笑した。

「貴方も余っ程道楽ものね」と梅子が評した。代助は益滑稽を感じた。

 兄は用があると云つて、すぐ出て行つた。四時頃用が済んだら芝居の方へ回る約束なんださうである。それ迄自分と縫子丈で見てゐたら好ささうなものだが、梅子は夫が厭だと云つた。そんなら直木を連れて行けと兄から注意された時、直木は紺絣を着て、袴を穿いて、六づかしく坐つてゐて不可ないと答へた。夫で仕方がないから代助を迎ひに遣つたのだ、と、是は兄が出掛の説明であつた。代助は少々理窟に合はないと思つたが、たゞ、左様ですかと答へた。さうして、嫂は幕の相間に話し相手が欲いのと、夫からいざと云ふ時に、色々用を云ひ付けたいものだから、わざ/\自分を呼び寄せたに違ないと解釈した。

 梅子と縫子は長い時間を御化粧に費やした。代助は懇よく御化粧の監督者になつて、両人の傍に附いてゐた。さうして時々は、面白半分の冷かしも云つた。縫子からは叔父さん随分だわを二三度繰り返された。

 父は今朝早くから出て、家にゐなかつた。何処へ行つたのだか、嫂は知らないと云つた。代助は別に知りたい気もなかつた。たゞ父のゐないのが難有かつた。此間の会見以後、代助は父とはたつた二度程しか顔を合せなかつた。それも、ほんの十分か十五分に過ぎなかつた。話が込み入りさうになると、急に叮嚀な御辞義をして立つのを例にしてゐた。父は座敷の方へ出て来て、どうも代助は近頃少しも尻が落ち付かなくなつた。おれの顔さへ見れば逃げ支度をすると云つて怒つた。と嫂は鏡の前で夏帯の尻を撫でながら代助に話した。

「ひどく、信用を落したもんだな」

 代助は斯う云つて、嫂と縫子の蝙蝠傘を抱げて一足先へ玄関へ出た。車はそこに三挺并んでゐた。