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それから 十二の七
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夏目漱石
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食事が済んでから、主客は又応接間に戻つて、話を始めたが、蝋燭を継ぎ足した様に、新らしい方へは急に火が移りさうにも見えなかつた。梅子は立つて、ピヤノの蓋を開けて、
「何か一つ如何ですか」と云ひながら令嬢を顧みた。令嬢は固より席を動かなかつた。
「ぢや、代さん、皮切に何か御遣り」と今度は代助に云つた。代助は人に聞かせる程の上手でないのを自覚してゐた。けれども、そんな弁解をすると、問答が理窟臭く、しつこくなる許だから、
「まあ、蓋を開けて御置なさい。今に遣るから」と答へたなり、何かなしに、無関係の事を話しつゞけてゐた。
一時間程して客は帰つた。四人は肩を揃へて玄関迄出た。奥へ這入る時、
「代助はまだ帰るんぢやなからうな」と父が云つた。代助はみんなから一足後れて、鴨居の上に両手が届く様な伸を一つした。それから、人のゐない応接間と食堂を少しうろ/\して座敷へ来て見ると、兄と嫂が向き合つて何か話をしてゐた。
「おい、すぐ帰つちや不可ない。御父さんが何か用があるさうだ。奥へ御出」と兄はわざとらしい真面目な調子で云つた。梅子は薄笑ひをしてゐる。代助は黙つて頭を掻いた。
代助は一人で父の室へ行く勇気がなかつた。何とか蚊とか云つて、兄夫婦を引張つて行かうとした。それが旨く成功しないので、とう/\其所へ坐り込んで仕舞つた。所へ小間使が来て、
「あの、若旦那様に一寸、奥迄入つしやる様に」と催促した。
「うん、今行く」と返事をして、それから、兄夫婦に斯ういふ理窟を述べた。――自分一人で父に逢ふと、父があゝ云ふ気象の所へ持つて来て、自分がこんな図法螺だから、殊によると大いに老人を怒らして仕舞ふかも知れない。さうすると、兄夫婦だつて、後から面倒くさい調停をしたり何かしなければならない。其方が却つて迷惑になる訳だから、骨惜をせずに今一寸一所に行つて呉れたら宜からう。
兄は議論が嫌な男なので、何んだ下らないと云はぬ許の顔をしたが、
「ぢや、さあ行かう」と立ち上がつた。梅子も笑ひながらすぐに立つた。三人して廊下を渡つて父の室に行つて、何事も起らなかつたかの如く着坐した。
そこでは、梅子が如才なく、代助の過去に父の小言が飛ばない様な手加減をした。さうして談話の潮流を、成るべく今帰つた来客の品評の方へ持つて行つた。梅子は佐川の令嬢を大変大人しさうな可い子だと賞めた。是には父も兄も代助も同意を表した。けれども、兄は、もし亜米利加のミスの教育を受けたと云ふのが本当なら、もう少しは西洋流にはき/\しさうなものだと云ふ疑を立てた。代助は其疑にも賛成した。父と嫂は黙つてゐた。そこで代助は、あの大人しさは、羞恥む性質の大人さだから、ミスの教育とは独立に、日本の男女の社交的関係から来たものだらうと説明した。父はそれも左うだと云つた。梅子は令嬢の教育地が京都だから、あゝなんぢやないかと推察した。兄は東京だつて、御前見た様なの許はゐないと云つた。此時父は厳正な顔をして灰吹を叩いた。次に、容色だつて十人並より可いぢやありませんかと梅子が云つた。是には父も兄も異議はなかつた。代助も賛成の旨を告白した。四人は夫から高木の品評に移つた。温健の好人物と云ふ事で、其方はすぐ方付いて仕舞つた。不幸にして誰も令嬢の父母を知らなかつた。けれども、物堅い地味な人だと云ふ丈は、父が三人の前で保証した。父はそれを同県下の多額納税議員の某から確めたのださうである。最後に、佐川家の財産に就ても話が出た。其時父は、あゝ云ふのは、普通の実業家より基礎が確りしてゐて安全だと云つた。
令嬢の資格が略定まつた時、父は代助に向つて、
「大した異存もないだらう」と尋ねた。其語調と云ひ、意味と云ひ、何うするかね位の程度ではなかつた。代助は、
「左様ですな」と矢っ張り煮え切らない答をした。父はじつと代助を見てゐたが、段々皺の多い額を曇らした。兄は仕方なしに、
「まあ、もう少し善く考へて見るが可い」と云つて、代助の為に余裕を付けて呉れた。