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それから 十四の二

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それから 十四の二

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夏目漱石

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 斯う決心した翌日、代助は久し振りに髪を刈つて髯を剃つた。梅雨に入つて二三日凄まじく降つた揚句なので、地面にも、木の枝にも、埃らしいものは悉くしつとりと静まつてゐた。日の色は以前より薄かつた。雲の切れ間から、落ちて来る光線は、下界の湿り気のために、半ば反射力を失つた様に柔らかに見えた。代助は床屋の鏡で、わが姿を映しながら、例の如くふつくらした頬を撫でゝ、今日から愈積極的生活に入るのだと思つた。

 青山へ来て見ると、玄関に車が二台程あつた。供待の車夫は蹴込に倚り掛つて眠つた儘、代助の通り過ぎるのを知らなかつた。座敷には梅子が新聞を膝の上へ乗せて、込み入つた庭の緑をぼんやり眺めてゐた。是もぽかんと眠むさうであつた。代助はいきなり梅子の前へ坐つた。

「御父さんは居ますか」

 嫂は返事をする前に、一応代助の様子を、試験官の眼で見た。

「代さん、少し瘠せた様ぢやありませんか」と云つた。代助は又頬を撫でて、

「そんな事も無いだらう」と打ち消した。

「だつて、色沢が悪いのよ」と梅子は眼を寄せて代助の顔を覗き込んだ。

「庭の所為だ。青葉が映るんだ」と庭の植込の方を見たが、「だから貴方だつて、矢っ張り蒼いですよ」と続けた。

「私、此二三日具合が好くないんですもの」

「道理でぽかんとして居ると思つた。何うかしたんですか。風邪ですか」

「何だか知らないけれど生欠許り出て」

 梅子は斯う答へて、すぐ新聞を膝から卸すと、手を鳴らして、小間使を呼んだ。代助は再び父の在、不在を確めた。梅子は其問をもう忘れてゐた。聞いて見ると、玄関にあつた車は、父の客の乗つて来たものであつた。代助は長く懸ゝらなければ、客の帰る迄待たうと思つた。嫂は判然しないから、風呂場へ行つて、水で顔を拭いて来ると云つて立つた。下女が好い香のする葛の粽を、深い皿に入れて持つて来た。代助は粽の尾をぶら下げて、頻りに嗅いで見た。

 梅子が涼しい眼付になつて風呂場から帰つた時、代助は粽の一つを振子の様に振りながら、今度は、

「兄さんは何うしました」と聞いた。梅子はすぐ此陳腐な質問に答へる義務がないかの如く、しばらく椽鼻に立つて、庭を眺めてゐたが、

「二三日の雨で、苔の色が悉皆出た事」と平生に似合はぬ観察をして、故の席に返つた。さうして、

「兄さんが何うしましたつて」と聞き直した。代助は先の質問を繰り返した時、嫂は尤も無頓着な調子で、

「何うしましたつて、例の如くですわ」と答へた。

「相変らず、留守勝ですか」

「えゝ、えゝ、朝も晩も滅多に宅に居た事はありません」

「姉さんは夫で淋しくはないですか」

「今更改まつて、そんな事を聞いたつて仕方がないぢやありませんか」と梅子は笑ひ出した。調戯ふんだと思つたのか、あんまり小供染みてゐると思つたのか殆んど取り合ふ気色はなかつた。代助も平生の自分を振り返つて見て、真面目に斯んな質問を掛けた今の自分を、寧ろ奇体に思つた。今日迄兄と嫂の関係を長い間目撃してゐながら、ついぞ其所には気が付かなかつた。嫂も亦代助の気が付く程物足りない素振は見せた事がなかつた。

「世間の夫婦は夫で済んで行くものかな」と独言の様に云つたが、別に梅子の返事を予期する気もなかつたので、代助は向の顔も見ず、たゞ畳の上に置いてある新聞に眼を落した。すると梅子は忽ち、

「何ですつて」と切り込む様に云つた。代助の眼が、其調子に驚ろいて、ふと自分の方に視線を移した時、

「だから、貴方が奥さんを御貰ひなすつたら、始終宅に許ゐて、たんと可愛がつて御上げなさいな」と云つた。代助は始めて相手が梅子であつて、自分が平生の代助でなかつた事を自覚した。それで成るべく不断の調子を出さうと力めた。