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それから 十四の五

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それから 十四の五

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夏目漱石

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 代助は今迄冗談に斯んな事を梅子に向つて云つた事が能くあつた。梅子も始めはそれを本気に受けた。そつと手を廻して真相を探つて見た抔といふ滑稽もあつた。事実が分つて以後は、代助の所謂好いた女は、梅子に対して一向利目がなくなつた。代助がそれを云ひ出しても、丸で取り合はなかつた。でなければ、茶化してゐた。代助の方でも夫で平気であつた。然し此場合丈は彼に取つて、全く特別であつた。顔付と云ひ、眼付と云ひ、声の低い底に籠る力と云ひ、此所迄押し逼つて来た前後の関係と云ひ、凡ての点から云つて、梅子をはつと思はせない訳に行かなかつた。嫂は此短い句を、閃めく懐剣の如くに感じた。

 代助は帯の間から時計を出して見た。父の所へ来てゐる客は中々帰りさうにもなかつた。空は又曇つて来た。代助は一旦引き上げて又改ためて、父と話を付けに出直す方が便宜だと考へた。

「僕は又来ます。出直して来て御父さんに御目に掛る方が好いでせう」と立ちにかかつた。梅子は其間に回復した。梅子は飽く迄人の世話を焼く実意のある丈に、物を中途で投げる事の出来ない女であつた。抑える様に代助を引き留めて、女の名を聞いた。代助は固より答へなかつた。梅子は是非にと逼つた。代助は夫でも応じなかつた。すると梅子は何故其女を貰はないのかと聞き出した。代助は単純に貰へないから、貰はないのだと答へた。梅子は仕舞に涙を流した。他の尽力を出し抜いたと云つて恨んだ。何故始から打ち明けて話さないかと云つて責めた。かと思ふと、気の毒だと云つて同情して呉れた。けれども代助は三千代に就ては、遂に何事も語らなかつた。梅子はとう/\我を折つた。代助の愈帰ると云ふ間際になつて、

「ぢや、貴方から直に御父さんに御話なさるんですね。それ迄は私は黙つてゐた方が好いでせう」と聞いた。代助は黙つてゐて貰ふ方が好いか、話して貰ふ方が好いか、自分にも分らなかつた。

「左様ですね」と躇したが、「どうせ、断りに来るんだから」と云つて嫂の顔を見た。

「ぢや、若し話す方が都合が好ささうだつたら話しませう。もし又悪るい様だつたら、何にも云はずに置くから、貴方が始から御話なさい。夫が宜いでせう」と梅子は親切に云つて呉れた。代助は、

「何分宜しく」と頼んで外へ出た。角へ来て、四谷から歩く積で、わざと、塩町行の電車に乗つた。練兵場の横を通るとき、重い雲が西で切れて、梅雨には珍らしい夕陽が、真赤になつて広い原一面を照らしてゐた。それが向を行く車の輪に中つて、輪が回る度に鋼鉄の如く光つた。車は遠い原の中に小さく見えた。原は車の小さく見える程、広かつた。日は血の様に毒々しく照つた。代助は此光景を斜めに見ながら、風を切つて電車に持つて行かれた。重い頭の中がふら/\した。終点迄来た時は、精神が身体を冒したのか、精神の方が身体に冒されたのか、厭な心持がして早く電車を降りたかつた。代助は雨の用心に持つた蝙蝠傘を、杖の如く引き摺つて歩いた。

 歩きながら、自分は今日、自ら進んで、自分の運命の半分を破壊したのも同じ事だと、心のうちに囁いだ。今迄は父や嫂を相手に、好い加減な間隔を取つて、柔らかに自我を通して来た。今度は愈本性を露はさなければ、それを通し切れなくなつた。同時に、此方面に向つて、在来の満足を求め得る希望は少なくなつた。けれども、まだ逆戻りをする余地はあつた。たゞ、夫には又父を胡魔化す必要が出て来るに違なかつた。代助は腹の中で今迄の我を冷笑した。彼は何うしても、今日の告白を以て、自己の運命の半分を破壊したものと認めたかつた。さうして、それから受ける打撃の反動として、思ひ切つて三千代の上に、掩つ被さる様に烈しく働き掛けたかつた。

 彼は此次父に逢ふときは、もう一歩も後へ引けない様に、自分の方を拵えて置きたかつた。それで三千代と会見する前に、又父から呼び出される事を深く恐れた。彼は今日嫂に、自分の意思を父に話す話さないの自由を与へたのを悔いた。今夜にも話されれば、明日の朝呼ばれるかも知れない。すると今夜中に三千代に逢つて己れを語つて置く必要が出来る。然し夜だから都合がよくないと思つた。