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門 第十三章
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夏目漱石
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新年の頭を拵らえやうといふ氣になつて、宗助は久し振に髮結床の敷居を跨いだ。暮の所爲か客が大分立て込んでゐるので、鋏の音が二三ヶ所で、同時にちよき/\鳴つた。此寒さを無理に乘り越して、一日も早く春に入らうと焦慮るやうな表通の活動を、宗助は今見て來たばかりなので、其鋏の音が、如何にも忙しない響となつて彼の鼓膜を打つた。
しばらく煖爐の傍で烟草を吹かして待つてゐる間に、宗助は自分と關係のない大きな世間の活動に否應なしに捲き込まれて、已を得ず年を越さなければならない人の如くに感じた。正月を眼の前へ控えた彼は、實際是といふ新らしい希望もないのに、徒らに周圍から誘はれて、何だかざわ/\した心持を抱いてゐたのである。
御米の發作は漸く落ち付いた。今では平日の如く外へ出ても、家の事がそれ程氣に掛ゝらない位になつた。餘所に比べると閑靜な春の支度も、御米から云へば、年に一度の忙がしさには違なかつたので、或は何時も通の準備さへ拔いて、常よりも簡單に年を越す覺悟をした宗助は、蘇生つた樣にはつきりした妻の姿を見て、恐ろしい悲劇が一歩遠退いた時の如くに、胸を撫で卸した。然し其悲劇が又何時如何なる形で、自分の家族を捕へに來るか分らないと云ふ、ぼんやりした掛念が、折々彼の頭のなかに霧となつて懸かつた。
年の暮に、事を好むとしか思はれない世間の人が、故意と短い日を前へ押し出したがつて齷齪する樣子を見ると、宗助は猶の事この茫漠たる恐怖の念に襲はれた。成らうことなら、自分丈は陰氣な暗い師走の中に一人殘つてゐたい思さへ起つた。漸く自分の番が來て、彼は冷たい鏡のうちに、自分の影を見出した時、不圖此影は本來何者だらうと眺めた。首から下は眞白な布に包まれて、自分の着てゐる着物の色も縞も全く見えなかつた。其時彼は又床屋の亭主が飼つてゐる小鳥の籠が、鏡の奧に映つてゐる事に氣が付いた。鳥が止り木の上をちらり/\と動いた。
頭へ香のする油を塗られて、景氣のいゝ聲を後から掛けられて、表へ出たときは、それでも清々した心持であつた。御米の勸通髮を刈つた方が、結局氣を新たにする効果があつたのを、冷たい空氣の中で、宗助は自覺した。
水道税の事で一寸聞き合せる必要が生じたので、宗助は歸り路に坂井へ寄つた。下女が出て來て、此方へと云ふから、何時もの座敷へ案内するかと思ふと、其所を通り越して、茶の間へ導びいていつた。すると茶の間の襖が二尺ばかり開いてゐて、中から三四人の笑ひ聲が聞えた。坂井の家庭は相變らず陽氣であつた。
主人は光澤の好い長火鉢の向側に坐つてゐた。細君は火鉢を離れて、少し縁側の障子の方へ寄つて、矢張此方を向いてゐた。主人の後に細長い黒い枠に嵌めた柱時計が懸つてゐた。時計の右が壁で、左が袋戸棚になつてゐた。其張交に石摺だの、俳畫だの、扇の骨を拔いたものなどが見えた。
主人と細君の外に、筒袖の揃ひの模樣の被布を着た女の子が二人肩を擦り付け合つて坐つてゐた。片方は十二三で、片方は十位に見えた。大きな眼を揃へて、襖の陰から入つて來た宗助の方を向いたが、二人の眼元にも口元にも、今笑つた許の影が、まだゆたかに殘つてゐた。宗助は一應室の内を見回して、此親子の外に、まだ一人妙な男が、一番入口に近い所に畏まつてゐるのを見出した。
宗助は坐つて五分と立たないうちに、先刻の笑聲は、此變な男と坂井の家族との間に取り換はされた問答から出る事を知つた。男は砂埃でざらつきさうな赤い毛と、日に燒けて生涯褪めつこない強い色を有つてゐた。瀬戸物の釦の着いた白木綿の襯衣を着て、手織の硬い布子の襟から財布の紐見たやうな長い丸打を懸けた樣子は、滅多に東京抔へ出る機會のない遠い山の國のものとしか受け取れなかつた。其上男は此寒いのに膝小僧を少し出して、紺の落ちた小倉の帶の尻に差した手拭を拔いては鼻の下を擦つた。
「是は甲斐の國から反物を脊負つてわざ/\東京迄出て來る男なんです」と坂井の主人が紹介すると、男は宗助の方を向いて、
「何うか旦那、一つ買つて御呉」と挨拶をした。
成程銘仙だの御召だの、白紬だのが其所ら一面に取り散らしてあつた。宗助は此男の形裝や言葉遣の可笑しい割に、立派な品物を脊中へ乘せて歩行のを寧ろ不思議に思つた。主人の細君の説明によると、此織屋の住んでゐる村は燒石ばかりで、米も粟も収れないから、已を得ず桑を植ゑて蠶を飼ふんださうであるが、餘程貧しい所と見えて、柱時計を持つてゐる家が一軒丈で、高等小學へ通ふ小供が三人しかないという話であつた。
「字の書けるものは、此人ぎりなんださうですよ」と云つて細君は笑つた。すると織屋も、
「本當のこんだよ、奧さん。讀み書き算筆の出來るものは、己より外にねえんだからね。全く非道い所にや違ない」と眞面目に細君の云ふ事を首肯つた。
織屋は色々の反物を主人や細君の前へ突き付けては、「買つて御呉れ」といふ言葉をしきりに繰り返した。そりや高いよ幾何々々に御負けなどゝ云はれると、「値ぢやねえね」とか、「拜むからそれで買つて御呉れ」とか、「まあ目方を見て御呉れ」とか凡て異樣な田舍びた答をした。その度に皆が笑つた。主人夫婦は又閑だと見えて、面白半分に何時迄も織屋を相手にした。
「織屋、御前さうして荷を脊負つて、外へ出て、時分どきになつたら、矢張り御膳を食べるんだらうね」と細君が聞いた。
「飯を食はねえでゐられるもんぢやないよ。腹の減る事ちうたら」
「何んな所で食べるの」
「何んな所で食べるちうて、矢つ張り茶屋で食ふだね」
主人は笑ひながら茶屋とは何だと聞いた。織屋は、飯を食はす所が茶屋だと答へた。それから東京へ出立には飯が非常に旨いので、腹を据ゑて食ひ出すと、大抵の宿屋は叶はない、三度々々食つちや氣の毒だと云ふ樣な事を話して、また皆を笑はした。
織屋は仕舞に撚糸の紬と、白絽を一匹細君に賣り付けた。宗助は此押し詰つた暮に、夏の絽を買ふ人を見て餘裕のあるものは又格別だと感じた。すると、主人が宗助に向つて、
「何うです貴方も、序に何か一つ。奧さんの不斷着でも」と勸めた。細君もかう云ふ機會に買つて置くと、幾割か値安に買へる便宜を説いた。さうして、
「なに、御拂は何時でも可いんです」と受合つて呉れた。宗助はとう/\御米のために銘仙を一反買ふ事にした。主人はそれを散々値切つて三圓に負けさした。織屋は負けた後で又、
「全く値ぢやねえね。泣きたくなるね」と云つたので、大勢がまた一度に笑つた。
織屋は何處へ行つても斯ういふ鄙びた言葉を使つて通してゐるらしかつた。毎日馴染みの家をぐる/\回つて歩いてゐるうちには、脊中の荷が段々輕くなつて、仕舞に紺の風呂敷と眞田紐丈が殘る。其時分には丁度舊の正月が來るので、一先國元へ歸つて、古い春を山の中で越して、夫から又新らしい反物を脊負へる丈脊負つて出て來るのだと云つた。さうして養蠶の忙しい四月の末か五月の初迄に、それを悉皆金に換へて、又富士の北影の燒石許ころがつてゐる小村へ歸つて行くのださうである。
「宅へ來出してから、もう四五年になりますが、何時見ても同じ事で、少しも變らないんですよ」と細君が注意した。
「實際珍らしい男です」と主人も評語を添えた。三日も外へ出ないと、町幅が何時の間にか取り廣げられてゐたり、一日新聞を讀まないと、電車の開通を知らずに過したりする今の世に、年に二度も東京へ出ながら、斯う山男の特色を何處迄も維持して行くのは、實際珍らしいに違なかつた。宗助はつく/″\此織屋の容貌やら態度やら服裝やら言葉使やらを觀察して、一種氣の毒な思をなした。
彼は坂井を辭して、家へ歸る途中にも、折々インネスの羽根の下に抱へて來た銘仙の包を持ち易へながら、それを三圓といふ安い價で賣つた男の、粗末な布子の縞と、赤くてばさ/\した髮の毛と、其油氣のない硬い髮の毛が、何ういふ譯か、頭の眞中で立派に左右に分けられてゐる樣を、絶えず眼の前に浮べた。
宅では御米が宗助に着せる春の羽織を漸く縫ひ上げて、壓の代りに坐蒲團の下へ入れて、自分で其上へ坐つてゐる所であつた。
「貴方今夜敷いて寐て下さい」と云つて、御米は宗助を顧みた。夫から、坂井へ來てゐた甲斐の男の話を聞いた時は、御米も流石に大きな聲を出して笑つた。さうして宗助の持つて歸つた銘仙の縞柄と地合を飽かず眺めては、安い/\と云つた。銘仙は全く品の良いものであつた。
「何うして、さう安く賣つて割に合ふんでせう」と仕舞に聞き出した。
「なに中へ立つ呉服屋が儲け過ぎてるのさ」と宗助は其道に明るい樣な事を、此一反の銘仙から推斷して答へた。
夫婦の話はそれから、坂井の生活に餘裕のある事と、其餘裕のために、横町の道具屋などに意外な儲け方をされる代りに、時とすると斯う云ふ織屋などから、差し向き不用のものを廉價に買つて置く便宜を有してゐる事などに移つて、仕舞に其家庭の如何にも陽氣で、賑やかな模樣に落ちて行つた。宗助は其時突然語調を更へて、
「何金があるばかりぢやない。一つは子供が多いからさ。子供さへあれば、大抵貧乏な家でも陽氣になるものだ」と御米を覺した。
其云ひ方が、自分達の淋しい生涯を、多少自ら窘める樣な苦い調子を、御米の耳に傳へたので、御米は覺えず膝の上の反物から手を放して夫の顏を見た。宗助は坂井から取つて來た品が、御米の嗜好に合つたので、久し振りに細君を喜ばせて遣つた自覺があるばかりだつたから、別段そこには氣が付かなかつた。御米も一寸宗助の顏を見たなり其時は何にも云はなかつた。けれども夜に入つて寐る時間が來る迄御米はそれをわざと延ばして置いたのである。
二人は何時もの通り十時過床に入つたが、夫の眼がまだ覺めてゐる頃を見計らつて、御米は宗助の方を向いて話しかけた。
「貴方先刻小供がないと淋しくつて不可ないと仰しやつてね」
宗助は是に類似の事を普般的に云つた覺は慥かにあつた。けれどもそれは強がちに、自分達の身の上に就て、特に御米の注意を惹く爲に口にした、故意の觀察でないのだから、斯う改たまつて聞き糺されると、困るより外はなかつた。
「何も宅の事を云つたのぢやないよ」
此返事を受けた御米は、しばらく默つてゐた。やがて、
「でも宅の事を始終淋しい/\と思つてゐらつしやるから、必竟あんな事を仰しやるんでせう」と前と略似た樣な問を繰り返した。宗助は固よりさうだと答へなければならない或物を頭の中に有つてゐた。けれども御米を憚つて、それ程明白地な自白を敢てし得なかつた。此病氣上りの細君の心を休める爲には、却つてそれを冗談にして笑つて仕舞ふ方が善からうと考へたので、
「淋しいと云へば、そりや淋しくないでもないがね」と調子を易へて成るべく陽氣に出たが、其所で詰つたぎり、新らしい文句も、面白い言葉も容易に思ひ付けなかつた。已を得ず、
「まあ可いや。心配するな」と云つた。御米はまた何とも答へなかつた。宗助は話題を變へやうと思つて、
「昨夕も火事があつたね」と世間話をし出した。すると御米は急に、
「私は實に貴方に御氣の毒で」と切なさうに言譯を半分して、又それなり默つて仕舞つた。洋燈は何時もの樣に床の間の上に据ゑてあつた。御米は灯に背いてゐたから、宗助には顏の表情が判然分らなかつたけれども、其聲は多少涙でうるんでゐる樣に思はれた。今迄仰向いて天井を見てゐた彼は、すぐ妻の方へ向き直つた。さうして薄暗い影になつた御米の顏を凝と眺めた。御米も暗い中から凝と宗助を見てゐた。さうして、
「疾から貴方に打ち明けて謝罪まらう/\と思つてゐたんですが、つい言ひ惡かつたもんだから、夫なりにして置いたのです」と途切れ/\に云つた。宗助には何の意味か丸で解らなかつた。多少はヒステリーの所爲かとも思つたが、全然さうとも決しかねて、しばらく茫然してゐた。すると御米が思ひ詰めた調子で、
「私にはとても子供の出來る見込はないのよ」と云ひ切つて泣き出した。
宗助は此可憐な自白を何う慰さめて可いか分別に餘つて當惑してゐたうちにも、御米に對して甚だ氣の毒だといふ思が非常に高まつた。
「子供なんざ、無くても可いぢやないか。上の坂井さん見た樣に澤山生れて御覽、傍から見てゐても氣の毒だよ。丸で幼穉園の樣で」
「だつて一人も出來ないと極つちまつたら、貴方だつて好かないでせう」
「まだ出來ないと極りやしないぢやないか。是から生れるかも知れないやね」
御米は猶と泣き出した。宗助も途方に暮れて、發作の治まるのを穩やかに待つてゐた。さうして、緩くり御米の説明を聞いた。
夫婦は和合同棲といふ點に於て、人並以上に成功したと同時に、子供にかけては、一般の隣人よりも不幸であつた。それも始から宿る種がなかつたのなら、まだしもだが、育つべきものを中途で取り落したのだから、更に不幸の感が深かつた。
始めて身重になつたのは、二人が京都を去つて、廣島に瘠世帶を張つてゐる時であつた。懷姙と事が極つたとき、御米は此新らしい經驗に對して、恐ろしい未來と、嬉しい未來を一度に夢に見る樣な心持を抱いて日を過ごした。宗助はそれを眼に見えない愛の精に、一種の確證となるべき形を與へた事實と、ひとり解釋して少なからず喜んだ。さうして自分の命を吹き込んだ肉の塊が、目の前に踴る時節を指を折つて樂しみに待つた。所が胎兒は、夫婦の豫期に反して、五ヶ月迄育つて突然下りて仕舞つた。其時分の夫婦の活計は苦しい苛い月ばかり續いてゐた。宗助は流産した御米の蒼い顏を眺めて、是も必竟は世帶の苦勞から起るんだと判じた。さうして愛情の結果が、貧のために打ち崩されて、永く手の裡に捕へる事の出來なくなつたのを殘念がつた。御米はひたすら泣いた。
福岡へ移つてから間もなく、御米は又酸いものを嗜む人となつた。一度流産すると癖になると聞いたので、御米は萬に注意して、つゝましやかに振舞つてゐた。其所爲か經過は至極順當に行つたが、どうした譯か、是といふ原因もないのに、月足らずで生れて仕舞つた。産婆は首を傾けて、一度醫者に見せる樣に勸めた。醫者に診て貰ふと、發育が充分でないから、室内の温度を一定の高さにして、晝夜とも變らない位、人工的に暖めなければ不可ないと云つた。宗助の手際では、室内に煖爐を据ゑ付ける設備をする丈でも容易ではなかつた。夫婦はわが時間と算段の許す限りを盡して、專念に赤兒の命を護つた。けれども凡ては徒勞に歸した。一週間の後、二人の血を分けた情の塊は遂に冷たくなつた。御米は幼兒の亡骸を抱いて、
「何うしませう」と啜り泣いた。宗助は再度の打撃を男らしく受けた。冷たい肉が灰になつて、其灰が又黒い土に和する迄、一口も愚癡らしい言葉は出さなかつた。其内何時となく、二人の間に挾まつてゐた影の樣なものが、次第に遠退いて程なく消えて仕舞つた。
すると三度目の記憶が來た。宗助が東京に移つて始ての年に、御米は又懷姙したのである。出京の當座は、大分身體が衰ろへてゐたので、御米は勿論、宗助もひどく其所を氣遣つたが、今度こそはといふ腹は兩方にあつたので、張のある月を無事に段々と重ねて行つた。所が丁度五月目になつて、御米は又意外の失敗を遣つた。其頃はまだ水道も引いてなかつたから、朝晩下女が井戸端へ出て水を汲んだり、洗濯をしなければならなかつた。御米はある日裏にゐる下女に云ひ付ける用が出來たので、井戸流の傍に置いた盥の傍迄行つて話をした序に、流を向へ渡らうとして、青い苔の生へてゐる濡れた板の上へ尻持を突いた。御米はまた遣り損なつたとは思つたが、自分の粗忽を面目ながつて、宗助にはわざと何事も語らずに其場を通した。けれども此震動が、何時迄經つても胎兒の發育に是といふ影響も及ぼさず、從つて自分の身體にも少しの異状を引き起さなかつた事が慥に分つた時、御米は漸く安心して、過去の失を改めて宗助の前に告げた。宗助は固より妻を咎める意もなかつた。たゞ、
「能く氣を付けないと危ないよ」と穩やかに注意を加へて過ぎた。
兎角するうちに月が滿ちた。愈生れるといふ間際迄日が詰つたとき、宗助は役所へ出ながらも、御米の事がしきりに氣に掛つた。歸りには何時も、今日はことによると留守のうちに抔と案じ續けては、自分の家の格子の前に立つた。さうして半ば豫期してゐる赤兒の泣聲が聞えないと、却つて何かの變でも起つたらしく感じて、急いで宅へ飛び込んで、自分と自分の粗忽を耻づる事があつた。
幸に御米の産氣づいたのは、宗助の外に用のない夜中だつたので、傍にゐて世話の出來ると云ふ點から見れば甚だ都合が好かつた。産婆も緩くり間に合ふし、脱脂綿其他の準備も悉く不足なく取り揃へてあつた。産も案外輕かつた。けれども肝心の小兒は、たゞ子宮を逃れて廣い所へ出たといふ迄で、浮世の空氣を一口も呼吸しなかつた。産婆は細い硝子の管の樣なものを取つて、小さい口の内へ強い呼息をしきりに吹き込んだが、効目は丸でなかつた。生れたものは肉丈であつた。夫婦は此肉に刻み付けられた、眼と鼻と口とを髣髴した。然し其咽喉から出る聲は遂に聞く事が出來なかつた。
産婆は出産のあつたつい一週間前に來て、丁寧に胎兒の心臟迄聽診して、至極御健全だと保證して行つたのである。よし産婆の云ふ事に間違があつて、腹の兒の發育が今迄のうちに何處かで止つてゐたにした所で、それが直取り出されない以上、母體は今日迄平氣に持ち應へる譯がなかつた。其所を段々調べて見て、宗助は自分が未だ嘗て聞いた事のない事實を發見した時に、思はず恐れ驚ろいた。胎兒は出る間際迄健康であつたのである。けれども臍帶纏絡と云つて、俗に云ふ胞を頸へ捲き付けてゐた。斯う云ふ異常の場合には、固より産婆の腕で切り拔けるより外に仕樣のないもので、經驗のある婆さんなら、取り上げる時に、旨く頸に掛ゝつた胞を外して引き出す筈であつた。宗助の頼んだ産婆も可成年を取つてゐる丈に、此位のことは心得てゐた。然し胎兒の頸を絡んでゐた臍帶は、時たまある如く一重ではなかつた。二重に細い咽喉を卷いてゐる胞を、あの細い所を通す時に外し損なつたので、小兒はぐつと氣管を絞められて窒息して仕舞つたのである。
罪は産婆にもあつた。けれども半以上は御米の落度に違なかつた。臍帶纏絡の變状は、御米が井戸端で滑つて痛く尻餠を搗いた五ヶ月前既に自ら釀したものと知れた。御米は産後の蓐中に其始末を聞いて、たゞ輕く首肯いたぎり何にも云はなかつた。さうして、疲勞に少し落ち込んだ眼を霑ませて、長い睫毛をしきりに動かした。宗助は慰さめながら、手帛で頬に流れる涙を拭いて遣つた。
是が子供に關する夫婦の過去であつた。此苦い經驗を甞めた彼等は、それ以後幼兒に就て餘り多くを語るを好まなかつた。けれども二人の生活の裏側は、此記憶のために淋しく染め付けられて、容易に剥げさうには見えなかつた。時としては、彼我の笑聲を通してさへ、御互の胸に、此裏側が薄暗く映る事もあつた。斯ういふ譯だから、過去の歴史を今夫に向つて新たに繰り返さうとは、御米も思ひ寄らなかつたのである。宗助も今更妻からそれを聞かせられる必要は少しも認めてゐなかつたのである。
御米の夫に打ち明けると云つたのは、固より二人の共有してゐた事實に就てではなかつた。彼女は三度目の胎兒を失つた時、夫から其折の模樣を聞いて、如何にも自分が殘酷な母であるかの如く感じた。自分が手を下した覺がないにせよ、考へ樣によつては、自分と生を與へたものの生を奪ふために、暗闇と明海の途中に待ち受けて、これを絞殺したと同じ事であつたからである。斯う解釋した時、御米は恐ろしい罪を犯した惡人と己を見傚さない譯に行かなかつた。さうして思はざる徳義上の苛責を人知れず受けた。しかも其苛責を分つて、共に苦しんで呉れるものは世界中に一人もなかつた。御米は夫にさへ此苦しみを語らなかつたのである。
彼女は其時普通の産婦の樣に、三週間を床の中で暮らした。それは身體から云ふと極めて安靜の三週間に違なかつた。同時に心から云ふと、恐るべき忍耐の三週間であつた。宗助は亡兒のために、小さい柩を拵らえて、人の眼に立たない葬儀を營なんだ。しかる後、又死んだもののために小さな位牌を作つた。位牌には黒い漆で戒名が書いてあつた。位牌の主は戒名を持つてゐた。けれども俗名は兩親といへども知らなかつた。宗助は最初それを茶の間の箪笥の上へ載せて、役所から歸ると絶えず線香を焚いた。其香が六疊に寐てゐる御米の鼻に時々通つた。彼女の官能は當時それ程に鋭どくなつてゐたのである。しばらくしてから、宗助は何を考へたか、小さい位牌を箪笥の抽出の底へ仕舞つてしまつた。其所には福岡で亡くなつた小供の位牌と、東京で死んだ父の位牌が別々に綿で包んで丁寧に入れてあつた。東京の家を疊むとき宗助は先祖の位牌を一つ殘らず携えて、諸所を漂泊するの煩はしさに堪えなかつたので、新らしい父の分丈を鞄の中に収めて、其他は悉く寺へ預けて置いたのである。
御米は宗助のする凡てを寐ながら見たり聞いたりしてゐた。さうして布團の上に仰向になつた儘、此二つの小さい位牌を、眼に見えない因果の糸を長く引いて互に結び付けた。それから其糸を猶遠く延ばして、是は位牌にもならずに流れて仕舞つた、始めから形のない、ぼんやりした影の樣な死兒の上に投げかけた。御米は廣島と福岡と東京に殘る一つ宛の記憶の底に、動かしがたい運命の嚴かな支配を認めて、其嚴かな支配の下に立つ、幾月日の自分を、不思議にも同じ不幸を繰り返すべく作られた母であると觀じた時、時ならぬ呪咀の聲を耳の傍に聞いた。彼女が三週間の安靜を、蒲團の上に貪ぼらなければならないやうに、生理的に強ひられてゐる間、彼女の鼓膜は此呪咀の聲で殆んど絶えず鳴つてゐた。三週間の安臥は、御米に取つて實に比類のない忍耐の三週間であつた。
御米は此苦しい半月餘りを、枕の上で凝と見詰めながら過ごした。仕舞には我慢して横になつてゐるのが、如何にも苛かつたので、看護婦の歸つた明る日に、こつそり起きてぶら/\して見たが、それでも心に逼る不安は、容易に紛らせなかつた。退儀な身體を無理に動かす割に、頭の中は少しも動いて呉れないので、又落膽りして、ついには取り放しの夜具の下へ潛り込んで、人の世を遠ざける樣に、眼を堅く閉つて仕舞ふ事もあつた。
其内定期の三週間も過ぎて、御米の身體は自からすつきりなつた。御米は奇麗に床を拂つて、新らしい氣のする眉を再び鏡に照らした。それは更衣の時節であつた。御米も久し振に綿の入つた重いものを脱ぎ棄てゝ、肌に垢の觸れない輕い氣持を爽やかに感じた。春と夏の境をぱつと飾る陽氣な日本の風物は、淋しい御米の頭にも幾分かの反響を與へた。けれども、夫はたゞ沈んだものを掻き立てて、賑やかな光りのうちに浮かした迄であつた。御米の暗い過去の中に其時一種の好奇心が萠したのである。
天氣の勝れて美くしいある日の午前、御米は何時もの通り宗助を送り出してから直に、表へ出た。もう女は日傘を差して外を行くべき時節であつた。急いで日向を歩くと額の邊が少し汗ばんだ。御米は歩き/\、着物を着換える時、箪笥を開けたら、思はず一番目の抽出の底に仕舞つてあつた、新らしい位牌に手が觸れた事を思ひつゞけて、とう/\ある易者の門を潛つた。
彼女は多數の文明人に共通な迷信を子供の時から持つてゐた。けれども平生は其迷信が又多數の文明人と同じ樣に、遊戲的に外に現はれる丈で濟んでゐた。それが實生活の嚴かな部分を冒す樣になつたのは、全く珍らしいと云はなければならなかつた。御米は其時眞面目な態度と眞面目な心を有つて、易者の前に坐つて、自分が將來子を生むべき、又子を育てるべき運命を天から與へられるだらうかを確めた。易者は大道に店を出して、徃來の人の身の上を一二錢で占なふ人と、少しも違つた樣子もなく、算木を色々に並べて見たり、筮竹を揉んだり數へたりした後で、仔細らしく腮の下の髯を握つて何か考へたが、終りに御米の顏をつく/″\眺めた末、
「貴方には子供は出來ません」と落ち付き拂つて宣告した。御米は無言の儘、しばらく易者の言葉を頭の中で噛んだり碎いたりした。それから顏を上げて、
「何故でせう」と聞き返した。其時御米は易者が返事をする前に、又考へるだらうと思つた。所が彼はまともに御米の眼の間を見詰めたまゝ、すぐ
「貴方は人に對して濟まない事をした覺がある。其罪が祟つてゐるから、子供は決して育たない」と云ひ切つた。御米は此一言に心臟を射拔かれる思があつた。くしやりと首を折つたなり家へ歸つて、其夜は夫の顏さへ碌々見上げなかつた。
御米の宗助に打ち明けないで、今迄過したといふのは、此易者の判斷であつた。宗助は床の間に乘せた細い洋燈の灯が、夜の中に沈んで行きさうな靜かな晩に、始めて御米の口から其話を聞いたとき、流石に好い氣味はしなかつた。
「神經の起つた時、わざ/\そんな馬鹿な所へ出掛るからさ。錢を出して下らない事を云はれて詰らないぢやないか。其後もその占の宅へ行くのかい」
「恐ろしいから、もう決して行かないわ」
「行かないが可い。馬鹿氣てゐる」
宗助はわざと鷹揚な答をして又寐て仕舞つた。