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門 第四章

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門 第四章

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夏目漱石

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 小六の苦にしてゐた佐伯からは、豫期の通り二三日して返事があつたが、それは極めて簡單なもので、端書でも用の足りる所を、鄭重に封筒へ入れて三錢の切手を貼つた、叔母の自筆に過ぎなかつた。

 役所から歸つて、筒袖の仕事着を、窮屈さうに脱ぎ易へて、火鉢の前へ坐るや否や、抽出から一寸程わざと餘して差し込んであつた状袋に眼が着いたので、御米の汲んで出す番茶を一口呑んだ儘、宗助はすぐ封を切つた。

「へえ、安さんは神戸へ行つたんだつてね」と手紙を讀みながら云つた。

「何時?」と御米は湯呑を夫の前に出した時の姿勢の儘で聞いた。

「何時とも書いてないがね。何しろ遠からぬうちには歸京仕るべく候間と書いてあるから、もうぢき歸つて來るんだらう」

「遠からぬうちなんて、矢つ張り叔母さんね」

 宗助は御米の批評に、同意も不同意も表しなかつた。讀んだ手紙を卷き納めて、投げる樣にそこへ放り出して、四五日目になる、ざら/\した腮を、氣味わるさうに撫で廻した。

 御米はすぐ其手紙を拾つたが、別に讀まうともしなかつた。それを膝の上へ乘せた儘、夫の顏を見て、

「遠からぬうちには歸京仕るべく候間、何うだつて云ふの」と聞いた。

「何れ歸つたら、安之助と相談して何とか御挨拶を致しますと云ふのさ」

「遠からぬうちぢや曖昧ね。何時歸るとも書いてなくつて」

「いゝや」

 御米は念の爲、膝の上の手紙を始めて開いて見た。さうして夫を元の樣に疊んで、

「一寸其状袋を」と手を夫の方へ出した。宗助は自分と火鉢の間に挾まつてゐる青い封筒を取つて細君に渡した。御米はそれをふつと吹いて、中を膨らまして手紙を収めた。さうして臺所へ立つた。

 宗助は夫限手紙の事には氣を留めなかつた。今日役所で同僚が、此間英吉利から來遊したキチナー元帥に、新橋の傍で逢つたと云ふ話を思ひ出して、あゝ云ふ人間になると、世界中何處へ行つても、世間を騷がせる樣に出來てゐる樣だが、實際さういふ風に生れ付いて來たものかも知れない。自分の過去から引き摺つてきた運命や、又其續きとして、是から自分の眼前に展開されべき將來を取つて、キチナーと云ふ人のそれに比べて見ると、到底同じ人間とは思へない位懸け隔たつてゐる。

 斯う考へて宗助はしきりに烟草を吹かした。表は夕方から風が吹き出して、わざと遠くの方から襲つて來る樣な音がする。それが時々已むと、已んだ間は寂として、吹き荒れる時よりは猶淋しい。宗助は腕組をしながら、もうそろ/\火事の半鐘が鳴り出す時節だと思つた。

 臺所へ出て見ると、細君は七輪の火を赤くして、肴の切身を燒いてゐた。清は流し元に曲んで漬物を洗つてゐた。二人とも口を利かずにせつせと自分の遣る事を遣つてゐる。宗助は障子を開けたなり、少時肴から垂る汁か膏の音を聞いてゐたが、無言の儘又障子を閉てゝ元の座へ戻つた。細君は眼さへ肴から離さなかつた。

 食事を濟まして、夫婦が火鉢を間に向ひ合つた時、御米は又

「佐伯の方は困るのね」と云ひ出した。

「まあ仕方がない。安さんが神戸から歸る迄待つより外に道はあるまい」

「其前に一寸叔母さんに逢つて話をして置いた方が好かなくつて」

「さうさ。まあ其内何とか云つて來るだらう。夫迄打遣つて置かうよ」

「小六さんが怒つてよ。可くつて」と御米はわざと念を押して置いて微笑した。宗助は下眼を使つて、手に持つた小楊枝を着物の襟へ差した。

 中一日置いて、宗助は漸く佐伯からの返事を小六に知らせてやつた。其時も手紙の尻に、まあ其内何うかなるだらうと云ふ意味を、例の如く付け加へた。さうして當分は此事件に就て肩が拔けた樣に感じた。自然の經過が又窮屈に眼の前に押し寄せて來る迄は、忘れてゐる方が面倒がなくつて好い位な顏をして、毎日役所へ出ては又役所から歸つて來た。歸りも遲いが、歸つてから出掛る抔といふ億劫な事は滅多になかつた。客は殆んど來ない。用のない時は清を十時前に寐かす事さへあつた。夫婦は毎夜同じ火鉢の兩側に向き合つて、食後一時間位話をした。話の題目は彼等の生活状態に相應した程度のものであつた。けれども米屋の拂を、此三十日には何うしたものだらうといふ、苦しい世帶話は、未だ甞て一度も彼等の口には上らなかつた。と云つて、小説や文學の批評は勿論の事、男と女の間を陽炎の樣に飛び廻る、花やかな言葉の遣り取りは殆んど聞かれなかつた。彼等は夫程の年輩でもないのに、もう其所を通り拔けて、日毎に地味になつて行く人の樣にも見えた。又は最初から、色彩の薄い極めて通俗の人間が、習慣的に夫婦の關係を結ぶために寄り合つた樣にも見えた。

 上部から見ると、夫婦ともさう物に屈托する氣色はなかつた。それは彼等が小六の事に關して取つた態度に就て見ても略想像がつく。流石女丈に御米は一二度、

「安さんは、まだ歸らないんでせうかね。貴方今度の日曜位に番町迄行つて御覽なさらなくつて」と注意した事があるが、宗助は、

「うん、行つても好い」位な返事をする丈で、其行つても好い日曜が來ると、丸で忘れた樣に濟ましてゐる。御米もそれを見て、責める樣子もない。天氣が好いと、

「ちと散歩でもして入らつしやい」と云ふ。雨が降つたり、風が吹いたりすると、

「今日は日曜で仕合せね」と云ふ。

 幸にして小六は其後一度もやつて來ない。此青年は、至つて凝り性の神經質で、斯うと思ふと何所迄も進んで來る所が、書生時代の宗助によく似てゐる代りに、不圖氣が變ると、昨日の事は丸で忘れた樣に引つ繰り返つて、けろりとした顏をしてゐる。其所も兄弟丈あつて、昔の宗助に其儘である。それから、頭腦が比較的明暸で、理路に感情を注ぎ込むのか、又は感情に理窟の枠を張るのか、何方か分らないが、兎に角物に筋道を付けないと承知しないし、また一返筋道が付くと、其筋道を生かさなくつては置かない樣に熱中したがる。其上體質の割合に精力がつゞくから、若い血氣に任せて大抵の事はする。

 宗助は弟を見るたびに、昔の自分が再び蘇生して、自分の眼の前に活動してゐる樣な氣がしてならなかつた。時には、はら/\する事もあつた。又苦々しく思ふ折もあつた。さう云ふ場合には、心のうちに、當時の自分が一圖に振舞つた苦い記憶を、出來る丈屡呼び起させるために、とくに天が小六を自分の眼の前に据ゑ付けるのではなからうかと思つた。さうして非常に恐ろしくなつた。此奴も或は己と同一の運命に陷るために生れて來たのではなからうかと考へると、今度は大いに心掛りになつた。時によると心掛りよりは不愉快であつた。

 けれども、今日迄宗助は、小六に對して意見がましい事を云つた事もなければ、將來に就て注意を與へた事もなかつた。彼の弟に對する待遇方はたゞ普通凡庸のものであつた。彼の今の生活が、彼の樣な過去を有つてゐる人とは思へない程に、沈んでゐる如く、彼の弟を取り扱ふ樣子にも、過去と名のつく程の經驗を有つた年長者の素振は容易に出なかつた。

 宗助と小六の間には、まだ二人程男の子が挾まつてゐたが、何れも早世して仕舞つたので、兄弟とは云ひながら、年は十許り違つてゐる。其上宗助はある事情のために、一年の時京都へ轉學したから、朝夕一所に生活してゐたのは、小六の十二三の時迄である。宗助は剛情な聽かぬ氣の腕白小僧としての小六を未だに記憶してゐる。其時分は父も生きてゐたし、家の都合も惡くはなかつたので、抱車夫を邸内の長屋に住まはして、樂に暮してゐた。此車夫に小六よりは三つ程年下の子供があつて、始終小六の御相手をして遊んでゐた。ある夏の日盛りに、二人して、長い竿のさきへ菓子袋を括り付けて、大きな柿の木の下で蝉の捕りくらをしてゐるのを、宗助が見て、兼坊そんなに頭を日に照らし付けると霍亂になるよ、さあ是を被れと云つて、小六の古い夏帽を出してやつた。すると、小六は自分の所有物を兄が無斷で他に呉れてやつたのが、癪に障つたので、突然兼坊の受取つた帽子を引つたくつて、それを地面の上へ抛げつけるや否や、馳け上がる樣に其上へ乘つて、くしやりと麥藁帽を踏み潰して仕舞つた。宗助は縁から跣足で飛んで下りて、小六の頭を擲り付けた。其時から、宗助の眼には、小六が小惡らしい小僧として映つた。

 二年の時宗助は大學を去らなければならない事になつた。東京の家へも歸へれない事になつた。京都からすぐ廣島へ行つて、其所に半年ばかり暮らしてゐるうちに父が死んだ。母は父よりも六年程前に死んでゐた。だから後には二十五六になる妾と、十六になる小六が殘つた丈であつた。

 佐伯から電報を受け取つて、久し振りに出京した宗助は、葬式を濟ました上、家の始末をつけ樣と思つて段々調べて見ると、有ると思つた財産は案外に少なくつて、却つて無い積の借金が大分あつたに驚ろかされた。叔父の佐伯に相談すると、仕方がないから邸を賣るが好からうと云ふ話であつた。妾は相當の金を遣つてすぐ暇を出す事に極めた。小六は當分叔父の家に引き取つて世話をして貰ふ事にした。然し肝心の家屋敷はすぐ右から左へと賣れる譯には行かなかつた。仕方がないから、叔父に一時の工面を頼んで、當座の片を付けて貰つた。叔父は事業家で色々な事に手を出しては失敗する、云はゞ山氣の多い男であつた。宗助が東京にゐる時分も、よく宗助の父を説き付けては、旨い事を云つて金を引き出したものである。宗助の父にも慾があつたかも知れないが、此傳で叔父の事業に注ぎ込んだ金高は決して少ないものではなかつた。

 父の亡くなつた此際にも、叔父の都合は元と餘り變つてゐない樣子であつたが、生前の義理もあるし、又斯う云ふ男の常として、いざと云ふ場合には比較的融通の付くものと見えて、叔父は快よく整理を引き受けて呉れた。其代り宗助は自分の家屋敷の賣却方に就て一切の事を叔父に一任して仕舞つた。早く云ふと、急場の金策に對する報酬として土地家屋を提供した樣なものである。叔父は、

「何しろ、斯う云ふものは買手を見て賣らないと損だからね」と云つた。

 道具類も積ばかり取つて、金目にならないものは、悉く賣り拂つたが、五六幅の掛物と十二三點の骨董品丈は、矢張り氣長に欲しがる人を探さないと損だと云ふ叔父の意見に同意して、叔父に保管を頼む事にした。凡てを差し引いて手元に殘つた有金は、約二千圓程のものであつたが、宗助は其内の幾分を、小六の學資として、使はなければならないと氣が付いた。然し月々自分の方から送るとすると、今日の位置が堅固でない當時、甚だ實行しにくい結果に陷りさうなので、苦しくはあつたが、思ひ切つて、半分丈を叔父に渡して、何分宜しくと頼んだ。自分が中途で失敗つたから、責めて弟丈は物にしてやりたい氣もあるので、此千圓が盡きたあとは、又何うにか心配も出來やうし又して呉れるだらう位の不慥な希望を殘して、又廣島へ歸つて行つた。

 それから半年ばかりして、叔父の自筆で、家はとう/\賣れたから安心しろと云ふ手紙が來たが、幾何に賣れたとも何とも書いてないので、折り返して聞き合せると、二週間程經つての返事に、優に例の立替を償ふに足る金額だから心配しなくても好いとあつた。宗助は此返事に對して少なからず不滿を感じたには感じたが、同じ書信の中に、委細は何れ御面會の節云々とあつたので、すぐにも東京へ行きたい樣な氣がして、實は斯う/\だがと、相談半分細君に話して見ると、御米は氣の毒さうな顏をして、「でも、行けないんだから、仕方がないわね」と云つて、例の如く微笑した。其時宗助は始めて細君から宣告を受けた人の樣に、しばらく腕組をして考へたが、何う工夫したつて、拔ける事の出來ない樣な位地と事情の下に束縛されてゐたので、つい夫成になつて仕舞つた。

 仕方がないから、猶三四回書面で徃復を重ねて見たが、結果はいつも同じ事で、版行で押した樣に何れ御面會の節を繰り返して來る丈であつた。

「是ぢや仕樣がないよ」と宗助は腹が立つた樣な顏をして御米を見た。三ヶ月ばかりして、漸く都合が付いたので、久し振りに御米を連れて、出京しやうと思ふ矢先に、つい風邪を引いて寐たのが元で、腸窒扶斯に變化したため、六十日餘りを床の上に暮らした上に、あとの三十日程は充分仕事も出來ない位衰へて仕舞つた。

 病氣が本復してから間もなく、宗助は又廣島を去つて福岡の方へ移らなければならない身となつた。移る前に、好い機會だから一寸東京迄出たいものだと考へてゐるうちに、今度も色々の事情に制せられて、つい夫も遂行せずに、矢張り下り列車の走る方に自己の運命を托した。其頃は東京の家を疊むとき、懷にして出た金は、殆んど使ひ果たしてゐた。彼の福岡生活は前後二年を通じて、中々の苦鬪であつた。彼は書生として京都にゐる時分、種々の口實の下に、父から臨時隨意に多額の學資を請求して、勝手次第に消費した昔をよく思ひ出して、今の身分と比較しつゝ、頻りに因果の束縛を恐れた。ある時はひそかに過ぎた春を回顧して、あれが己の榮華の頂點だつたんだと、始めて醒めた眼に遠い霞を眺める事もあつた。愈苦しくなつた時、

「御米、久しく放つて置いたが、又東京へ掛合つて見樣かな」と云ひ出した。御米は無論逆ひはしなかつた。たゞ下を向いて、

「駄目よ。だつて、叔父さんに全く信用がないんですもの」と心細さうに答へた。

「向ふぢや此方に信用がないかも知れないが、此方ぢや又向ふに信用がないんだ」と宗助は威張つて云ひ出したが、御米の俯目になつてゐる樣子を見ると、急に勇氣が挫ける風に見えた。こんな問答を最初は月に一二返位繰り返してゐたが、後には二月に一返になり、三月に一返になり、とう/\、

「好いや、小六さへ何うかして呉れゝば。あとの事は何れ東京へ出たら、逢つた上で話を付けらあ。ねえ御米、左うすると、爲やうぢやないか」と云ひ出した。

「それで、好ござんすとも」と御米は答へた。

 宗助は佐伯の事をそれなり放つて仕舞つた。單なる無心は、自分の過去に對しても、叔父に向つて云ひ出せるものでないと、宗助は考へてゐた。從つて其方の談判は、始めから未だ嘗て筆にした事がなかつた。小六からは時々手紙が來たが、極めて短かい形式的のものが多かつた。宗助は父の死んだ時、東京で逢つた小六を覺えてゐる丈だから、いまだに小六を他愛ない小供位に想像するので、自分の代理に叔父と交渉させ樣抔と云ふ氣は無論起らなかつた。

 夫婦は世の中の日の目を見ないものが、寒さに堪へかねて、抱き合つて暖を取る樣な具合に、御互同志を頼りとして暮らしてゐた。苦しい時には、御米が何時でも、宗助に、

「でも仕方がないわ」と云つた。宗助は御米に、

「まあ我慢するさ」と云つた。

 二人の間には諦めとか、忍耐とか云ふものが斷えず動いてゐたが、未來とか希望と云ふものゝ影は殆んど射さない樣に見えた。彼等は餘り多く過去を語らなかつた。時としては申し合はせた樣に、それを回避する風さへあつた。御米が時として、

「其内には又屹度好い事があつてよ。さう/\惡い事ばかり續くものぢやないから」と夫を慰さめる樣に云ふ事があつた。すると、宗助にはそれが、眞心ある妻の口を藉りて、自分を飜弄する運命の毒舌の如くに感ぜられた。宗助はさう云ふ場合には何にも答へずにたゞ苦笑する丈であつた。御米が夫でも氣が付かずに、なにか云ひ續けると、

「我々は、そんな好い事を豫期する權利のない人間ぢやないか」と思ひ切つて投げ出して仕舞ふ。細君は漸く氣が付いて口を噤んで仕舞ふ。さうして二人が默つて向き合つてゐると、何時の間にか、自分達は自分達の拵えた過去といふ暗い大きな窖の中に落ちてゐる。

 彼等は自業自得で、彼等の未來を塗抹した。だから歩いてゐる先の方には、花やかな色彩を認める事が出來ないものと諦らめて、たゞ二人手を携えて行く氣になつた。叔父の賣り拂つたと云ふ地面家作に就いても、固より多くの期待は持つてゐなかつた。時々考へ出した樣に、

「だつて、近頃の相場なら、捨賣にしたつて、あの時叔父の拵らへて呉れた金の倍にはなるんだもの。あんまり馬鹿々々しいからね」と宗助が云ひ出すと、御米は淋しさうに笑つて、

「又地面? 何時迄もあの事ばかり考へて入らつしやるのね。だつて、貴方が萬事宜しく願ひますと、叔父さんに仰しやつたんでせう」と云ふ。

「そりや仕方がないさ。あの場合あゝでも爲なければ方が付かないんだもの」と宗助が云ふ。

「だからさ。叔父さんの方では、御金の代りに家と地面を貰つた積で入らつしやるかも知れなくつてよ」と御米が云ふ。

 さう云はれると、宗助も叔父の處置に一理ある樣にも思はれて、口では、

「その積が好くないぢやないか」と答辯する樣なものゝ、此問題は其都度次第々々に背景の奧に遠ざかつて行くのであつた。

 夫婦がこんな風に淋しく睦まじく暮らして來た二年目の末に、宗助はもとの同級生で、學生時代には大變懇意であつた杉原と云ふ男に偶然出逢つた。杉原は卒業後高等文官試驗に合格して、其時既に或省に奉職してゐたのだが、公務上福岡と佐賀へ出張することになつて、東京からわざ/\遣つて來たのである。宗助は所の新聞で、杉原の何時着いて、何處に泊つてゐるかを能く知つてはゐたが、失敗者としての自分に顧みて、成効者の前に頭を下げる對照を耻づかしく思つた上に、自分は在學當時の舊友に逢ふのを、特に避けたい理由を持つてゐたので、彼の旅館を訪ねる氣は毛頭なかつた。

 所が杉原の方では、妙な引掛りから、宗助の此所に燻ぶつてゐる事を聞き出して、強いて面會を希望するので、宗助も已を得ず我を折つた。宗助が福岡から東京へ移れる樣になつたのは、全く此杉原の御蔭である。杉原から手紙が來て、愈事が極つたとき、宗助は箸を置いて、

「御米、とう/\東京へ行けるよ」と云つた。

「まあ結構ね」と御米が夫の顏を見た。

 東京に着いてから二三週間は、眼の回る樣に日が經つた。新らしく世帶を有つて、新らしい仕事を始める人に、あり勝ちな急忙しなさと、自分達を包む大都の空氣の、日夜劇しく震盪する刺戟とに驅られて、何事をも凝と考へる閑もなく、又落ち付いて手を下す分別も出なかつた。

 夜汽車で新橋へ着いた時は、久し振りに叔父夫婦の顏を見たが、夫婦とも灯の所爲か晴れやかな色には宗助の眼に映らなかつた。途中に事故があつて、着の時間が珍らしく三十分程後れたのを、宗助の過失でゞもあるかの樣に、待草臥れた氣色であつた。

 宗助が此時叔母から聞いた言葉は、

「おや宗さん、少時御目に掛ゝらないうちに、大變御老けなすつた事」といふ一句であつた。御米は其折始めて叔父夫婦に紹介された。

「これが彼……」と叔母は逡巡つて宗助の方を見た。御米は何と挨拶のしやうもないので、無言の儘唯頭を下げた。

 小六も無論叔父夫婦と共に二人を迎ひに來てゐた。宗助は一眼其姿を見たとき、何時の間にか自分を凌ぐ樣に大きくなつた弟の發育に驚ろかされた。小六は其時中學を出て、是から高等學校へ這入らうといふ間際であつた。宗助を見て、「兄さん」とも「御歸りなさい」とも云はないで、たゞ不器用に挨拶をした。

 宗助と御米は一週ばかり宿屋住居をして、夫から今の所に引き移つた。其時は叔父夫婦が色々世話を燒いて呉れた。細々しい臺所道具の樣なものは買ふ迄もあるまい、古いので可ければと云ふので、小人數に必要な丈一通り取り揃えて送つて來た。其上、

「御前も新世帶だから、嘸物要が多からう」と云つて金を六十圓呉れた。

 家を持つて彼是取り紛れてゐるうちに、早半月餘も經つたが、地方にゐる時分あんなに氣にしてゐた家邸の事は、ついまだ叔父に言ひ出さずにゐた。ある時御米が、

「貴方あの事を叔父さんに仰やつて」と聞いた。宗助はそれで急に思ひ出した樣に、

「うん、未だ云はないよ」と答へた。

「妙ね、あれ程氣にして入らしつたのに」と御米がうす笑をした。

「だつて、落ち付いて、そんな事を云ひ出す暇がないんだもの」と宗助が辯解した。

 又十日程經つた。すると今度は宗助の方から、

「御米、あの事は未だ云はないよ。どうも云ふのが面倒で厭になつた」と云ひ出した。

「厭なのを無理に仰やらなくつても可いわ」と御米が答へた。

「好いかい」と宗助が聞き返した。

「好いかいつて、もと/\貴方の事ぢやなくつて。私は先から何うでも好いんだわ」と御米が答へた。

 其時宗助は、

「ぢや、鹿爪らしく云ひ出すのも何だか妙だから、其内機會があつたら、聞くとしやう。なに其内聞いて見る機會が屹度出て來るよ」と云つて延ばして仕舞つた。

 小六は何不足なく叔父の家に寐起してゐた。試驗を受けて高等學校へ這入れゝば、寄宿へ入舍しなければならないと云ふので、其相談迄既に叔父と打合せがしてある樣であつた。新らしく出京した兄からは別段學資の世話を受けない所爲か、自分の身の上に就いては叔父程に親しい相談も持ち込んで來なかつた。從兄弟の安之助とは今迄の關係上大變仲が好かつた。却つて此方が兄弟らしかつた。

 宗助は自然叔父の家に足が遠くなる樣になつた。たまに行つても、義理一遍の訪問に終る事が多いので、歸り路には何時も詰らない氣がしてならなかつた。仕舞には時候の挨拶を濟ますと、すぐ歸りたくなる事もあつた。かう云ふ時には三十分と坐つて世間話に時間を繋ぐのにさへ骨が折れた。向ふでも何だか氣が置けて窮屈だと云ふ風が見えた。

「まあ可いぢやありませんか」と叔母が留めてくれるのが例であるが、さうすると、猶更居にくい心持がした。それでも、たまには行かないと、心のうちで氣が咎める樣な不安を感ずるので、又行くやうになつた。折々は、

「何うも小六が御厄介になりまして」と此方から頭を下げて禮を云ふ事もあつた。けれども、それ以上は、弟の將來の學資に就ても、又自分が叔父に頼んで、留守中に賣り拂つて貰つた地所家作に就いても、口を切るのがつい面倒になつた。然し宗助が興味を有たない叔父の所へ、不精無精にせよ、時たま出掛けて行くのは、單に叔父甥の血屬關係を、世間並に持ち堪へるための義務心からではなくつて、いつか機會があつたら、片を付けたい或物を胸の奧に控へてゐた結果に過ぎないのは明かであつた。

「宗さんは何うも悉皆變つちまいましたね」と叔母が叔父に話す事があつた。すると叔父は、

「左うよなあ。矢つ張り、あゝ云ふ事があると、永く迄後へ響くものだからな」と答へて、因果は恐ろしいと云ふ風をする。叔母は重ねて、

「本當に、怖いもんですね。元はあんな寐入つた子ぢやなかつたが――どうも燥急ぎ過ぎる位活溌でしたからね。それが二三年見ないうちに、丸で別の人見た樣に老けちまつて。今ぢや貴方より御爺さん/\してゐますよ」と云ふ。

「眞逆」と叔父が又答へる。

「いえ、頭や顏は別として、樣子がさ」と叔母が又辯解する。

 こんな會話が老夫婦の間に取り換はされたのは、宗助が出京して以來一度や二度ではなかつた。實際彼は叔父の所へ來ると、老人の眼に映る通りの人間に見えた。

 御米は何う云ふものか、新橋へ着いた時、老人夫婦に紹介されたぎり、曾つて叔父の家の敷居を跨いだ事がない。向から見えれば叔父さん叔母さんと丁寧に接待するが、歸りがけに、

「何うです、些と御出掛けなすつちや」などゝ云はれると、たゞ

「難有う」と頭を下げる丈で、遂ぞ出掛けた試はなかつた。流石の宗助さへ一度は、

「叔父さんの所へ一度行つて見ちや、何うだい」と勸めた事があるが、

「でも」と變な顏をするので、宗助は夫限決して其事を云ひ出さなかつた。

 兩家族はこの状態で約一年ばかりを送つた。すると宗助よりも氣分は若いと許された叔父が突然死んだ。病症は脊髓腦膜炎とかいふ劇症で、二三日風邪の氣味で寐てゐたが、便所へ行つた歸りに、手を洗はうとして、柄杓を持つた儘卒倒したなり、一日經つか經たないうちに冷たくなつて仕舞つたのである。

「御米、叔父はとう/\話をしずに死んで仕舞つたよ」と宗助が云つた。

「貴方まだ、あの事を聞く積だつたの、貴方も隨分執念深いのね」と御米が云つた。

 夫から又一年ばかり經つたら、叔父の子の安之助が大學を卒業して、小六が高等學校の二年生になつた。叔母は安之助と一所に中六番町に引き移つた。

 三年目の夏休みに小六は房州の海水浴へ行つた。そこに一月餘りも滯在してゐるうちに九月になり掛けたので、保田から向ふへ突切つて、上總の海岸を九十九里傳ひに、銚子迄來たが、そこから思ひ出した樣に東京へ歸つた。宗助の所へ見えたのは、歸つてから、まだ二三日しか立たない、殘暑の強い午後である。眞黒に焦げた顏の中に、眼だけ光らして、見違へる樣に蠻色を帶びた彼は、比較的日の遠い座敷へ這入つたなり横になつて、兄の歸りを待ち受けてゐたが、宗助の顏を見るや否や、むつくり起き上がつて、

「兄さん、少し御話があつて來たんですが」と開き直られたので、宗助は少し驚ろいた氣味で、暑苦しい洋服さへ脱ぎ更へずに、小六の話を聞いた。

 小六の云ふ所によると、二三日前彼が上總から歸つた晩、彼の學資は此暮限り氣の毒ながら出して遣れないと叔母から申し渡されたのださうである。小六は父が死んで、すぐと叔父に引き取られて以來、學校へも行けるし、着物も自然に出來るし、小遣も適宜に貰へるので、父の存生中と同じ樣に、何不足なく暮らせて來た惰性から、其日其晩迄も、ついぞ學資と云ふ問題を頭に思ひ浮べた事がなかつたため、叔母の宣告を受けた時は、茫然して兎角の挨拶さへ出來なかつたのだと云ふ。

 叔母は氣の毒さうに、何故小六の世話が出來なくなつたかを、女丈に、一時間も掛かつて委しく説明して呉れたさうである。それには叔父の亡くなつた事やら、繼いで起る經濟上の變化やら、又安之助の卒業やら、卒業後に控えてゐる結婚問題やらが這入つてゐたのだと云ふ。

「出來るならば、責めて高等學校を卒業する迄と思つて、今日迄色々骨を折つたんだけれども」

 叔母は斯う云つたと小六は繰り返した。小六は其時不圖兄が先年父の葬式の時に出京して、萬事を片付けた後、廣島へ歸るとき、小六に、御前の學資は叔父さんに預けてあるからと云つた事があるのを思ひ出して、叔母に始めて聞いて見ると、叔母は案外な顏をして、

「そりや、あの時、宗さんが若干か置いて行きなすつた事は、行きなすつたが、夫はもう有りやしないよ。叔父さんの未だ生きて御出の時分から、御前の學資は融通して來たんだから」と答へた。

 小六は兄から自分の學資が何れ程あつて、何年分の勘定で、叔父に預けられたかを、聞いて置かなかつたから、叔母から斯う云はれて見ると、一言も返し樣がなかつた。

「御前も一人ぢやなし、兄さんもある事だから能く相談をして見たら好いだらう。其代り私も宗さんに逢つて、篤くり譯を話しませうから。どうも、宗さんも餘まり近頃は御出でないし、私も御無沙汰許してゐるのでね、つい御前の事は御話をする譯にも行かなかつたんだよ」と叔母は最後に附け加へたさうである。

 小六から一部始終を聞いた時、宗助はたゞ弟の顏を眺めて、一口、

「困つたな」と云つた。昔の樣に赫と激して、すぐ叔母の所へ談判に押し掛ける氣色もなければ、今迄自分に對して、世話にならないでも濟む人の樣に、餘所々々しく仕向けて來た弟の態度が急に方向を轉じたのを、惡いと思ふ樣子も見えなかつた。

 自分の勝手に作り上げた美くしい未來が、半分壞れかゝつたのを、さも傍の人の所爲ででもあるかの如く心を亂してゐる小六の歸る姿を見送つた宗助は、暗い玄關の敷居の上に立つて、格子の外に射す夕日をしばらく眺めてゐた。

 其晩宗助は裏から大きな芭蕉の葉を二枚剪つて來て、それを座敷の縁に敷いて、其上に御米と並んで涼みながら、小六の事を話した。

「叔母さんは、此方で、小六さんの世話をしろつて云ふ氣なんぢやなくつて」と御米が聞いた。

「まあ、逢つて聞いて見ないうちは、何う云ふ料簡か分らないがね」と宗助が云ふと、御米は、

「屹度左うよ」と答へながら、暗がりで團扇をはた/\動かした。宗助は何も云はずに、頸を延ばして、庇と崖の間に細く映る空の色を眺めた。二人は其儘しばらく默つて居たが、良あつて、

「だつて夫ぢや無理ね」と御米が又云つた。

「人間一人大學を卒業させるなんて、己の手際ぢや到底駄目だ」と宗助は自分の能力丈を明らかにした。

 會話はそこで別の題目に移つて、再び小六の上にも叔母の上にも歸つて來なかつた。それから二三日すると丁度土曜が來たので、宗助は役所の歸りに、番町の叔母の所へ寄つて見た。叔母は、

「おや/\、まあ御珍らしい事」と云つて、何時もよりは愛想よく宗助を款待して呉れた。其時宗助は厭なのを我慢して、此四五年來溜めて置いた質問を始めて叔母に掛けた。叔母は固より出來る丈は辯解しない譯に行かなかつた。

 叔母の云ふ所によると、宗助の邸宅を賣拂つた時、叔父の手に這入つた金は、慥には覺えてゐないが、何でも、宗助のために、急場の間に合せた借財を返した上、猶四千五百圓とか四千三百圓とか餘つたさうである。所が叔父の意見によると、あの屋敷は宗助が自分に提供して行つたのだから、たとひ幾何餘らうと、餘つた分は自分の所得と見傚して差支ない。然し宗助の邸宅を賣つて儲けたと云はれては心持が惡いから、是は小六の名義で保管して置いて、小六の財産にして遣る。宗助はあんな事をして廢嫡に迄されかゝつた奴だから、一文だつて取る權利はない。

「宗さん怒つちや不可ませんよ。たゞ叔父さんの云つた通りを話すんだから」と叔母が斷つた。宗助は默つてあとを聞いてゐた。

 小六の名義で保管されべき財産は、不幸にして、叔父の手腕で、すぐ神田の賑やかな表通りの家屋に變形した。さうして、まだ保險を付けないうちに、火事で燒けて仕舞つた。小六には始めから話してない事だから、其儘にして、わざと知らせずに置いた。

「さう云ふ譯でね、まことに宗さんにも、御氣の毒だけれども、何しろ取つて返しの付かない事だから仕方がない。運だと思つて諦らめて下さい。尤も叔父さんさへ生きてゐれば、又何うともなるんでせうさ。小六一人位そりや譯はありますまいよ。よしんば、叔父さんが居なさらない、今にしたつて、此方の都合さへ好ければ、燒けた家と同じ丈のものを、小六に返すか、それでなくつても、當人の卒業する迄位は、何うにかして世話も出來るんですけれども」と云つて叔母は又外の内幕話をして聞かせた。それは安之助の職業に就てゞあつた。

 安之助は叔父の一人息子で、此夏大學を出た許の青年である。家庭で暖かに育つた上に、同級の學生位より外に交際のない男だから、世の中の事には寧ろ迂濶と云つても可いが、其迂濶な所に何處か鷹揚な趣を具へて實社會へ顏を出したのである。專門は工科の器械學だから、企業熱の下火になつた今日と雖、日本中に澤山ある會社に、相應の口の一つや二つあるのは、勿論であるが、親讓りの山氣が何處かに潛んでゐるものと見えて、自分で自分の仕事をして見たくてならない矢先へ、同じ科の出身で、小規模ながら專有の工場を月島邊に建てゝ、獨立の經營をやつてゐる先輩に出逢つたのが縁となつて、其先輩と相談の上、自分も幾分かの資本を注ぎ込んで、一所に仕事をして見樣といふ考になつた。叔母の内幕話と云つたのは其所である。

「でね、少し有つた株をみんな其方へ廻す事にしたもんだから、今ぢや本當に一文なし同然な仕儀でゐるんですよ。それは世間から見ると、人數は少なし、家邸は持つてゐるし、樂に見えるのも無理のない所でせうさ。此間も原の御母さんが來て、まあ貴方程氣樂な方はない、何時來て見ても萬年青の葉ばかり丹念に洗つてゐるつてね。眞逆左うでも無いんですけれども」と叔母が云つた。

 宗助が叔母の説明を聞いた時は、ぼんやりして兎角の返事が容易に出なかつた。心のなかで、是は神經衰弱の結果、昔の樣に機敏で明快な判斷を、すぐ作り上げる頭が失くなつた證據だらうと自覺した。叔母は自分の云ふ通りが、宗助に本當と受けられないのを氣にする樣に、安之助から持ち出した資本の高迄話した。それは五千圓程であつた。安之助は當分の間、僅かな月給と、此五千圓に對する利益配當とで暮らさなければならないのださうである。

「其配當だつて、まだ何うなるか分りやしないんでさあね。旨く行つた所で、一割か一割五分位なものでせうし、又一つ間違へば丸で烟にならないとも限らないんですから」と叔母が付け加へた。

 宗助は叔母の仕打に、是と云ふ目立つた阿漕な所も見えないので、心の中では少なからず困つたが、小六の將來に就いて一口の掛合もせずに歸るのは如何にも馬鹿々々しい氣がした。そこで今迄の問題は其所に据ゑつきりにして置いて、自分が當時小六の學資として叔父に預けて行つた千圓の所置を聞き糺して見ると、叔母は、

「宗さん、あれこそ本當に小六が使つちまつたんですよ。小六が高等學校へ這入つてからでも、もう彼是七百圓は掛かつてゐるんですもの」と答へた。

 宗助は序だから、それと同時に、叔父に保管を頼んだ書畫や骨董品の成行を確かめて見た。すると、叔母は、

「ありあ飛んだ馬鹿な目に逢つて」と云ひかけたが、宗助の樣子を見て、

「宗さん、何ですか、彼事はまだ御話をしなかつたんでしたかね」と聞いた。宗助がいゝえと答へると、

「おや/\、夫ぢや叔父さんが忘れちまつたんですよ」と云ひながら、其顛末を語つて聞かした。

 宗助が廣島へ歸ると間もなく、叔父は其賣捌方を眞田とかいふ懇意の男に依頼した。此男は書畫骨董の道に明るいとかいふので、平生そんなものの賣買の周旋をして諸方へ出入するさうであつたが、すぐさま叔父の依頼を引き受けて、誰某が何を欲しいと云ふから、一寸拜見とか、何々氏が斯う云ふ物を希望だから、見せませうとか號して、品物を持つて行つたぎり、返して來ない。催促すると、まだ先方から戻つて參りませんからとか何とか言譯をする丈で甞て埒の明いた試がなかつたが、とう/\持ち切れなくなつたと見えて、何處かへ姿を隱して仕舞つた。

「でもね、未だ屏風が一つ殘つてゐますよ。此間引越の時に、氣が付いて、こりや宗さんのだから、今度序があつたら屆けて上げたら可いだらうつて、安がさう云つてゐましたつけ」

 叔母は宗助の預けて行つた品物には丸で重きを置いてゐない樣な、ものゝ云ひ方をした。宗助も今日迄放つて置く位だから、あまり其方面には興味を有ち得なかつたので、少しも良心に惱まされてゐる氣色のない叔母の樣子を見ても、別に腹は立たなかつた。それでも、叔母が、

「宗さん、何うせ家ぢや使つてゐないんだから、なんなら持つて御出なすつちや何うです。此頃は彼いふものが、大變價が出たと云ふ話ぢやありませんか」と云つたときは、實際それを持つて歸る氣になつた。

 納戸から取り出して貰つて、明るい所で眺めると、慥かに見覺のある二枚折であつた。下に萩、桔梗、芒、葛、女郎花を隙間なく描いた上に、眞丸な月を銀で出して、其横の空いた所へ、野路や空月の中なる女郎花、其一と題してある。宗助は膝を突いて銀の色の黒く焦げた邊から、葛の葉の風に裏を返してゐる色の乾いた樣から、大福程な大きな丸い朱の輪廓の中に、抱一と行書で書いた落款をつく/″\と見て、父の生きてゐる當時を憶ひ起さずにはゐられなかつた。

 父は正月になると、屹度此屏風を薄暗い藏の中から出して、玄關の仕切りに立てて、其前へ紫檀の角な名刺入を置いて、年賀を受けたものである。其時は目出度からと云ふので、客間の床には必ず虎の双幅を懸けた。是は岸駒ぢやない岸岱だと父が宗助に云つて聞かせた事があるのを、宗助はいまだに記憶してゐた。此虎の畫には墨が着いてゐた。虎が舌を出して谷の水を呑んでゐる鼻柱が少し汚されたのを、父は苛く氣にして、宗助を見る度に、御前此所へ墨を塗つた事を覺えてゐるか、是は御前の小さい時分の惡戲だぞと云つて、可笑しい樣な恨めしい樣な一種の表情をした。

 宗助は屏風の前に畏まつて、自分が東京にゐた昔の事を考へながら、

「叔母さん、ぢや此屏風は頂戴して行きませう」と云つた。

「あゝ/\、御持ちなさいとも。何なら使に持たせて上げませう」と叔母は好意から申し添えた。

 宗助は然るべく叔母に頼んで、其日は夫で切り上げて歸つた。晩食の後御米と一所に又縁側へ出て、暗い所で白地の浴衣を並べて、涼みながら、畫の話をした。

「安さんには、御逢ひなさらなかつたの」と御米が聞いた。

「あゝ、安さんは土曜でも何でも夕方迄、工場にゐるんださうだ」

「隨分骨が折れるでせうね」

 御米は左う云つたなり、叔父や叔母の處置に就いては、一言の批評も加へなかつた。

「小六の事は何うしたものだらう」と宗助が聞くと、

「さうね」と云ふ丈であつた。

「理窟を云へば、此方にも云ひ分はあるが、云ひ出せば、とゞの詰りは裁判沙汰になる許りだから、證據も何もなければ勝てる譯のものぢやなし」と宗助が極端を豫想すると、

「裁判なんかに勝たなくたつても可いわ」と御米がすぐ云つたので、宗助は苦笑して已めた。

「つまりは己があの時東京へ出られなかつたからの事さ」

「さうして東京へ出られた時は、もうそんな事は何うでも可かつたんですもの」

 夫婦はこんな話をしながら、又細い空を庇の下から覗いて見て、明日の天氣を語り合つて蚊帳に這入つた。

 次の日曜に宗助は小六を呼んで、叔母の云つた通りを殘らず話して聞かせて、

「叔母さんが御前に詳しい説明をしなかつたのは、短兵急な御前の性質を知つてる所爲か、夫ともまだ小供だと思つてわざと略して仕舞つたのか、其所は己にも分らないが、何しろ事實は今云つた通りなんだよ」と教えた。

 小六には如何に詳しい説明も腹の足しにはならなかつた。たゞ、

「左うですか」と云つて六づかしい不滿な顏をして宗助を見た。

「仕方がないよ。叔母さんだつて、安さんだつて、さう惡い料簡はないんだから」

「そりや、分つてゐます」と弟は峻しい物の云ひ方をした。

「ぢや己が惡いつて云ふんだらう。己は無論惡いよ。昔から今日迄惡い所だらけな男だもの」

 宗助は横になつて烟草を吹かしながら、是より以上は何とも語らなかつた。小六も默つて、座敷の隅に立てゝあつた二枚折の抱一の屏風を眺めてゐた。

「御前あの屏風を覺えてゐるかい」とやがて兄が聞いた。

「えゝ」と小六が答へた。

「一昨日佐伯から屆けて呉れた。御父さんの持つてたもので、おれの手に殘つたのは、今ぢや是だけだ。是が御前の學資になるなら、今すぐにでも遣るが、剥げた屏風一枚で大學を卒業する譯にも行かずな」と宗助が云つた。さうして苦笑しながら、

「此暑いのに、斯んなものを立てゝ置くのは、氣狂じみてゐるが、入れて置く所がないから、仕方がない」と云ふ述懷をした。

 小六は此氣樂な樣な、愚圖の樣な、自分とは餘りに懸け隔つてゐる兄を、何時も物足りなくは思ふものゝ、いざといふ場合に、決して喧嘩はし得なかつた。此時も急に癇癪の角を折られた氣味で、

「屏風は何うでも好いが、是から先僕はどうしたもんでせう」と聞き出した。

「夫は問題だ。何しろ此年一杯に極まれば好い事だから、まあよく考へるさ。おれも考へて置かう」と宗助が云つた。

 弟は彼の性質として、そんな中ぶらりんの姿は嫌である、學校へ出ても落付いて稽古も出來ず、下調も手に付かない樣な境遇は、到底自分には堪へられないと云ふ訴を切に遣り出したが、宗助の態度は依然として變らなかつた。小六があまり癇の高い不平を並べると、

「其位な事で夫程不平が並べられゝば、何處へ行つたつて大丈夫だ。學校を已めたつて、一向差支ない。御前の方が己より餘つ程えらいよ」と兄が云つたので、話は夫限頓挫して、小六はとう/\本郷へ歸つて行つた。

 宗助はそれから湯を浴びて、晩食を濟まして、夜は近所の縁日へ御米と一所に出掛けた。さうして手頃な花物を二鉢買つて、夫婦して一つ宛持つて歸つて來た。夜露に中てた方が可からうと云ふので、崖下の雨戸を明けて、庭先にそれを二つ並べて置いた。

 蚊帳の中へ這入つた時、御米は、

「小六さんの事は何うなつて」と夫に聞くと、

「未だ何うもならないさ」と宗助は答へたが、十分許の後夫婦ともすや/\寐入つた。

 翌日眼が覺めて役所の生活が始まると、宗助はもう小六の事を考へる暇を有たなかつた。家へ歸つて、のつそりしてゐる時ですら、此問題を確的眼の前に描いて明らかにそれを眺める事を憚かつた。髮の毛の中に包んである彼の腦は、其煩はしさに堪えなかつた。昔は數學が好で、隨分込み入つた幾何の問題を、頭の中で明暸な圖にして見る丈の根氣があつた事を憶ひ出すと、時日の割には非常に烈しく來た此變化が自分にも恐ろしく映つた。

 それでも日に一度位は小六の姿がぼんやり頭の奧に浮いて來る事があつて、その時丈は、彼奴の將來も何とか考へて置かなくつちやならないと云ふ氣も起つた。然しすぐあとから、まあ急ぐにも及ぶまい位に、自分と打ち消して仕舞ふのが常であつた。さうして、胸の筋が一本鉤に引つ掛つた樣な心を抱いて、日を暮らしてゐた。

 其内九月も末になつて、毎晩天の河が濃く見へるある宵の事、空から降つた樣に安之助が遣つて來た。宗助にも御米にも思ひ掛けない程稀な客なので、二人とも何か用があつての訪問だらうと推したが、果して小六に關する件であつた。

 此間月島の工場へひよつくり小六が遣つて來て云ふには、自分の學資に就ての詳しい話は兄から聞いたが、自分も今迄學問を遣つて來て、とう/\大學へ這入れず仕舞になるのは如何にも殘念だから、借金でも何でもして、行ける所迄行きたいが、何か好い工夫はあるまいかと相談を掛けるので、安之助はよく宗さんにも話して見やうと答へると、小六は忽ちそれを遮ぎつて、兄は到底相談になつて呉れる人ぢやない、自分が大學を卒業しないから、他も中途で已めるのは當然だ位に考へてゐる。元來今度の事も元を糺せば兄が責任者であるのに、あの通り一向平氣なもので、他が何を云つても取り合つて呉れない。だから、たゞ頼りにするのは君丈だ。叔母さんに正式に斷わられながら、又君に依頼するのは可笑しい樣だが、君の方が叔母さんより話が分るだらうと思つて來たと云つて、中々動きさうもなかつたさうである。

 安之助は、そんな事はない、宗さんも君の事では大分心配して、近い中又家へ相談に來る筈になつてゐるんだからと慰めて、小六を歸したんだと云ふ。歸るときに、小六は袂から半紙を何枚も出して、缺席屆が入用だから是に判を押して呉れと請求して、僕は退學か在學か片が付く迄は勉強が出來ないから、毎日學校へ出る必要はないんだと云つたさうである。

 安之助は忙がしいとかで、一時間足らず話して歸つて行つたが、小六の所置に就ては、兩人の間に具體的の案は別に出なかつた。何れ緩くりみんなで寄つて極めやう、都合がよければ小六も列席するが好からうといふのが別れる時の言葉であつた。二人になつたとき、御米は宗助に、

「何を考へて入らつしやるの」と聞いた。宗助は兩手を兵兒帶の間に挾んで、心持肩を高くしたなり、

「己ももう一返小六見た樣になつて見たい」と云つた。「此方ぢや、向が己の樣な運命に陷るだらうと思つて心配してゐるのに、向ぢや兄貴なんざあ眼中にないから偉いや」

 御米は茶器を引いて臺所へ出た。夫婦はそれぎり話を切り上げて、又床を延べて寐た。夢の上に高い銀河が涼しく懸つた。

 次の週間には、小六も來ず、佐伯からの音信もなく、宗助の家庭は又平日の無事に歸つた。夫婦は毎朝露の光る頃起きて、美しい日を廂の上に見た。夜は煤竹の臺を着けた洋燈の兩側に、長い影を描いて坐つてゐた。話が途切れた時はひそりとして、柱時計の振子の音丈が聞える事も稀ではなかつた。

 夫でも夫婦は此間に小六の事を相談した。小六がもし何うしても學問を續ける氣なら無論の事、さうでなくても、今の下宿を一時引き上げなければならなくなるのは知れてゐるが、左うすれば又佐伯へ歸るか、或は宗助の所へ置くより外に途はない。佐伯では一旦あゝ云ひ出した樣なものゝ、頼んで見たら、當分宅へ置く位の事は、好意上爲てくれまいものでもない。が、其上修業をさせるとなると、月謝小遣其他は宗助の方で擔任しなければ義理が惡い。所が夫は家計上宗助の堪える所でなかつた。月々の收支を事細かに計算して見た兩人は、

「到底駄目だね」

「何うしたつて無理ですわ」と云つた。

 夫婦の坐つてゐる茶の間の次が臺所で、臺所の右に下女部屋、左に六疊が一間ある。下女を入れて三人の小人數だから、此六疊には餘り必要を感じない御米は、東向の窓側に何時も自分の鏡臺を置いた。宗助も朝起きて顏を洗つて、飯を濟ますと、此所へ來て着物を脱ぎ更へた。

「夫よりか、あの六疊を空けて、あすこへ來ちや不可なくつて」と御米が云ひ出した。御米の考へでは、斯うして自分の方で部屋と食物丈を分擔して、あとの所を月々幾何か佐伯から助て貰つたら、小六の望み通り大學卒業迄遣つて行かれやうと云ふのである。

「着物は安さんの古いのや、貴方のを直して上げたら、何うかなるでせう」と御米が云ひ添へた。實は宗助にも斯んな考が、多少頭に浮かんで居た。たゞ御米に遠慮がある上に、夫程氣が進まなかつたので、つい口へ出さなかつた迄だから、細君から斯う反對に相談を掛けられて見ると、固よりそれを拒む丈の勇氣はなかつた。

 小六に其通りを通知して、御前さへそれで差支なければ、己がもう一遍佐伯へ行つて掛合つて見るがと、手紙で問ひ合せると、小六は郵便の着いた晩、すぐ雨の降る中を、傘に音を立てゝ遣つて來て、もう學資が出來でもした樣に嬉しがつた。

「何、叔母さんの方ぢや、此方で何時迄も貴方の事を放り出したまんま、構はずに置くもんだから、それで彼仰やるのよ。なに兄さんだつて、もう少し都合が好ければ、疾うにも何うにか爲たんですけれども、御存じの通りだから實際已むを得なかつたんですわ。然し此方から斯う云つて行けば、叔母さんだつて、安さんだつて、夫でも否だとは云はれないわ。屹度出來るから安心して居らつしやい。私受合ふわ」

 御米にかう受合つて貰つた小六は、又雨の音を頭の上に受けて本郷へ歸つて行つた。しかし中一日置いて、兄さんは未だ行かないんですかと聞きに來た。又三日許過ぎてから、今度は叔母さんの所へ行つて聞いたら、兄さんはまだ來ないさうだから、成るべく早く行く樣に勸めて呉れと催促して行つた。

 宗助が行く行くと云つて、日を暮らしてゐるうちに世の中は漸く秋になつた。その朗らかな或日曜の午後に、宗助はあまり佐伯へ行くのが後れるので、此要件を手紙に認めて番町へ相談したのである。すると、叔母から安之助は神戸へ行つて留守だと云ふ返事が來たのである。