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三四郎 十一の二

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三四郎 十一の二

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夏目金之助

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 万歳を唱へた晩、与次郎が三四郎の下宿へ来た。昼間とは打つて変つてゐる。堅くなつて火鉢の傍へ坐つて寒い寒いと云ふ。其顔がたゞ寒いのでは無いらしい。始めは火鉢へ乗り掛ゝる様に手を翳してゐたが、やがて懐手になつた。三四郎は与次郎の顔を陽気にする為めに、机の上の洋燈を端から端へ移した。所が与次郎は顎をがつくり落して、大きな坊主頭丈を黒く灯に照らしてゐる。一向冴えない。何うかしたかと聞いた時に、首を挙げて洋燈を見た。

「此家ではまだ電気を引かないのか」と顔付には全く縁のない事を聞いた。

「まだ引かない。其内電気にする積ださうだ。洋燈は暗くて不可んね」と答へてゐると、急に、洋燈の事は忘れたと見えて、

「おい、小川、大変な事が出来て仕舞つた」と云ひ出した。

 一応理由を聞いて見る。与次郎は懐から皺だらけの新聞を出した。二枚重なつてゐる。其一枚を剥がして、新らしく畳み直して、此所を読んで見ろと差し付けた。読む所を指の頭で抑へてゐる。三四郎は眼を洋燈の傍へ寄せた。見出に大学の純文科とある。

 大学の外国文学科は従来西洋人の担当で、当事者は一切の授業を外国教師に依頼してゐたが、時勢の進歩と多数学生の希望に促がされて、今度愈本邦人の講義も必須課目として認めるに至つた。そこで此間中から適当の人物を人撰中であつたが、漸く某氏に決定して、近々発表になるさうだ。某氏は近き過去に於て、海外留学の命を受けた事のある秀才だから至極適任だらう。と云ふ内容である。

「広田先生ぢや無かつたんだな」と三四郎が与次郎を顧みた。与次郎は矢っ張り新聞の上を見てゐる。

「是は慥なのか」と三四郎が又聞いた。

「何うも」と首を曲げたが、「大抵大丈夫だらうと思つてゐたんだがな。遣り損なつた。尤も此男が大分運動をしてゐると云ふ話は聞いた事もあるが」と云ふ。

「然し是丈ぢや、まだ風説ぢやないか。愈発表になつて見なければ分らないのだから」

「いや、それ丈なら無論構はない。先生の関係した事ぢやないから、然し」と云つて、又残りの新聞を畳み直して、標題を指の頭で抑へて、三四郎の眼の下へ出した。

 今度の新聞にも略同様の事が載つてゐる。そこ丈は別段に新らしい印象を起しやうもないが、其後へ来て、三四郎は驚ろかされた。広田先生が大変な不徳義漢の様に書いてある。十年間語学の教師をして、世間には杳として聞えない凡材の癖に、大学で本邦人の外国文学講師を入れると聞くや否や、急に狐鼠々々運動を始めて、自分の評判記を学生間に流布した。のみならず其門下生をして「偉大なる暗闇」などと云ふ論文を小雑誌に草せしめた。此論文は零余子なる慝名の下にあらはれたが、実は広田の家に出入する文科大学生小川三四郎なるものゝ筆である事迄分つてゐる。と、とう/\三四郎の名前が出て来た。

 三四郎は妙な顔をして与次郎を見た。与次郎は前から三四郎の顔を見てゐる。二人共しばらく黙つてゐた。やがて、三四郎が、

「困るなあ」と云つた。少し与次郎を恨んでゐる。与次郎は、そこは余構つてゐない。

「君、これを何う思ふ」と云ふ。

「何う思ふとは」

「投書を其儘出したに違ない。決して社の方で調べたものぢやない。文芸時評の六号活字の投書に斯んなのが、いくらでも来る。六号活字は殆んど罪悪のかたまりだ。よくよく探つて見ると嘘が多い。目に見えた嘘を吐いてゐるのもある。何故そんな愚な事をやるかと云ふとね、君。みんな利害問題が動機になつてゐるらしい。それで僕が六号活字を受持つてゐる時には、性質の好くないのは、大抵屑籠へ放り込んだ。此記事も全くそれだね。反対運動の結果だ」