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三四郎 十一の三

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三四郎 十一の三

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夏目金之助

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「何故、君の名が出ないで、僕の名が出たものだらうな」

 与次郎は「左うさ」と云つてゐる。しばらくしてから、

「矢っ張り何だらう。君は本科生で僕は撰科生だからだらう」と説明した。けれども三四郎には、是が説明にも何にもならなかつた。三四郎は依然として迷惑である。

「全体僕が零余子なんて稀知な号を使はずに、堂々と佐々木与次郎と署名して置けば好かつた。実際あの論文は佐々木与次郎以外に書けるものは一人もないんだからなあ」

 与次郎は真面目である。三四郎に「偉大なる暗闇」の著作権を奪はれて、却つて迷惑してゐるのかも知れない。三四郎は馬鹿々々しくなつた。

「君、先生に話したか」と聞いた。

「さあ、其所だ。偉大なる暗闇の作者なんか、君だつて、僕だつて、どつちだつて構はないが、事先生の人格に関係してくる以上は、話さずにはゐられない。あゝ云ふ先生だから、一向知りません、何か間違でせう、偉大なる暗闇といふ論文は雑誌に出ましたが、慝名です、先生の崇拝者が書いたものですから御安心なさい位に云つて置けば、さうかで直済んで仕舞ふ訳だが、此際左うは不可ん。どうしたつて僕が責任を明らかにしなくつちや。事が旨く行つて、知らん顔をしてゐるのは、心持が好いが、遣り損なつて黙つてゐるのは不愉快で堪らない。第一自分が事を起して置いて、あゝ云ふ善良な人を迷惑な状態に陥らして、それで平気に見物がして居られるものぢやない。正邪曲直なんて六かしい問題は別として、たゞ気の毒で、痛はしくつて不可ない」

 三四郎は始めて与次郎を感心な男だと思つた。

「先生は新聞を読んだんだらうか」

「家へ来る新聞にやない。だから僕も知らなかつた。然し先生は学校へ行つて色々な新聞を見るからね。よし先生が見なくつても誰か話すだらう」

「すると、もう知つてるな」

「無論知つてるだらう」

「君には何とも云はないか」

「云はない。尤も碌に話をする暇もないんだから、云はない筈だが。此間から演芸会の事で始終奔走してゐるものだから――あゝ演芸会も、もう厭になつた。已めて仕舞はうかしらん。御白粉を着けて、芝居なんかやつたつて、何が面白いものか」

「先生に話したら、君、叱られるだらう」

「叱られるだらう。叱られるのは仕方がないが、如何にも気の毒でね。余計な事をして迷惑を掛けてるんだから。――先生は道楽のない人でね。酒は飲まず、烟草は」と云ひかけたが途中で已めて仕舞つた。先生の哲学を鼻から烟にして吹き出す量は月に積ると、莫大なものである。

「烟草丈は可なり呑むが、其外に何にも無いぜ。釣をするぢやなし、碁を打つぢやなし、家庭の楽があるぢやなし。あれが一番不可ない。小供でもあると可いんだけれども。実に枯淡だからなあ」

 与次郎は夫で腕組をした。

「たまに、慰め様と思つて、少し奔走すると、斯んな事になるし。君も先生の所へ行つて遣れ」

「行つて遣る所ぢやない。僕にも多少責任があるから、謝罪つて来る」

「君は謝罪る必要はない」

「ぢや弁解して来る」

 与次郎は夫で帰つた。三四郎は床に這入つてから度々寐返りを打つた。国にゐる方が寐易い心持がする。偽りの記事――広田先生――美禰子――美禰子を迎に来て連れて行つた立派な男――色々の刺激がある。