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三四郎 二の二
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夏目金之助
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あくる日は平生よりも暑い日であつた。休暇中だから理科大学を尋ねても野々宮君は居るまいと思つたが、母が宿所を知らせて来ないから、聞き合せ旁行つて見様と云ふ気になつて、午後四時頃、高等学校の横を通つて弥生町の門から這入つた。往来は埃が二寸も積つてゐて、其上に下駄の歯や、靴の底や、草鞋の裏が奇麗に出来上つてる。車の輪と自転車の痕は幾筋だか分らない。むつとする程堪らない路だつたが、構内へ這入ると流石に樹の多い丈に気分が晴した。取っ付の戸をあたつて見たら錠が下りてゐる。裏へ廻つても駄目であつた。仕舞に横へ出た。念の為めと思つて推して見たら、旨い具合に開いた。廊下の四っ角に小使が一人居眠りをしてゐた。来意を通じると、しばらくの間は、正気を回復する為めに、上野の森を眺めてゐたが、突然「御出かも知れません」と云つて奥へ這入つて行つた。頗る閑静である。やがて又出て来た。「御出でやす。御這入んなさい」と友達見た様に云ふ。小使に食つ付いて行くと四っ角を曲がつて和土の廊下を下へ居りた。世界が急に暗くなる。炎天で眼が眩んだ時の様であつたが少時すると瞳が漸く落ち付いて、四辺が見える様になつた。穴倉だから比較的涼しい。左の方に戸があつて、其戸が明け放してある。其所から顔が出た。額の広い眼の大きな仏教に縁のある相である。縮の襯衣の上へ脊広を着てゐるが、脊広は所々に染がある。脊は頗る高い。瘠せてゐる所が暑さに釣り合つてゐる。頭と脊中を一直線に前の方へ延ばして、御辞儀をした。
「此方へ」と云つた儘、顔を室の中へ入れて仕舞つた。三四郎は戸の前迄来て室の中を覗いた。すると野々宮君はもう椅子へ腰を掛けてゐる。もう一遍「此方へ」と云つた。此方へと云ふ所に台がある。四角な棒を四本立てて、其上を板で張つたものである。三四郎は台の上へ腰を掛けて初対面の挨拶をする。それから何分宜敷願ひますと云つた。野々宮君は只はあ、はあと云つて聞いてゐる。其様子が幾分か汽車の中で水蜜桃を食つた男に似てゐる。一通り口上を述べた三四郎はもう何も云ふ事がなくなつて仕舞つた。野々宮君もはあ、はあ云はなくなつた。
部屋の中を見廻すと真中に大きな長い樫の机が置いてある。其上には何だか込み入つた、太い針線だらけの器械が乗つかつて、其傍に大きな硝子の鉢に水が入れてある。其外にやすりと小刀と襟飾が一つ落ちてゐる。最後に向の隅を見ると、三尺位の花崗石の台の上に、福神漬の缶程な込み入つた器械が乗せてある。三四郎は此缶の横腹に開いてゐる二つの穴に眼をつけた。穴が蟒蛇の眼玉の様に光つてゐる。野々宮君は笑ひながら光るでせうと云つた。さうして、斯う云ふ説明をして呉れた。
「昼間のうちに、あんな準備をして置いて、夜になつて、交通其他の活動が鈍くなる頃に、此静かな暗い穴倉で、望遠鏡の中から、あの眼玉の様なものを覗くのです。さうして光線の圧力を試験する。此年の正月頃から取り掛つたが、装置が中々面倒なのでまだ思ふ様な結果が出て来ません。夏は比較的堪へ易いが、寒夜になると、大変凌ぎにくい。外套を着て襟巻をしても冷たくて遣り切れない。……」
三四郎は大いに驚ろいた。驚ろくと共に光線にどんな圧力があつて、其圧力がどんな役に立つんだか、全く要領を得るに苦しんだ。