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三四郎 十二の四
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夏目金之助
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本来は暗い夜である。人の力で明るくした所を通り越すと、雨が落ちてゐるやうに思ふ。風が枝を鳴らす。三四郎は急いで下宿に帰つた。
夜半から降り出した。三四郎は床の中で、雨の音を聞きながら、尼寺へ行けと云ふ一句を柱にして、其周囲にぐる/\徊した。広田先生も起きてゐるかも知れない。先生はどんな柱を抱いてゐるだらう。与次郎は偉大なる暗闇の中に正体なく埋つてゐるに違ない。……
明日は少し熱がする。頭が重いから寐てゐた。午飯は床の上に起き直つて食つた。又一寐入すると今度は汗が出た。気がうとくなる。そこへ威勢よく与次郎が這入つて来た。昨夕も見えず、今朝も講義に出ない様だから何うしたかと思つて訪ねたと云ふ。三四郎は礼を述べた。
「なに、昨夕は行つたんだ。行つたんだ。君が舞台の上に出て来て、美禰子さんと、遠くで話をしてゐたのも、ちやんと知つてゐる」
三四郎は少し酔つた様な心持である。口を利き出すと、つる/\と出る。与次郎は手を出して、三四郎の額を抑へた。
「大分熱がある。薬を飲まなくつちや不可ない。風邪を引いたんだ」
「演芸場があまり暑過ぎて、明る過ぎて、さうして外へ出ると、急に寒過ぎて、暗過ぎるからだ。あれは可くない」
「可けないたつて、仕方がないぢやないか」
「仕方がないたつて、可けない」
三四郎の言葉は段短かくなる、与次郎が好加減にあしらつてゐるうちに、すう/\寐て仕舞つた。一時間程して又眼を開けた。与次郎を見て、
「君、其所にゐるのか」と云ふ。今度は平生の三四郎の様である。気分はどうかと聞くと、頭が重いと答へた丈である。
「風邪だらう」
「風邪だらう」
両方で同じ事を云つた。しばらくしてから、三四郎が与次郎に聞いた。
「君、此間美禰子さんの事を知つてるかと僕に尋ねたね」
「美禰子さんの事を? 何処で?」
「学校で」
「学校で? 何時」
与次郎はまだ思ひ出せない様子である。三四郎は已を得ず、其前後の当時を詳しく説明した。与次郎は、
「成程そんな事が有つたかも知れない」と云つてゐる。三四郎は随分無責任だと思つた。与次郎も少し気の毒になつて、考へ出さうとした。やがて斯う云つた。
「ぢや、何ぢやないか。美禰子さんが嫁に行くと云ふ話ぢやないか」
「極つたのか」
「極つた様に聞いたが、能く分らない」
「野々宮さんの所か」
「いや、野々宮さんぢやない」
「ぢや……」と云ひ掛けて已めた。
「君、知つてるのか」
「知らない」と云ひ切つた。すると与次郎が少し前へ乗り出して来た。
「何うも能く分らない。不思議な事があるんだが。もう少し立たないと、何うなるんだか見当が付かない」
三四郎は、其不思議な事を、すぐ話せば好いと思ふのに、与次郎は平気なもので、一人で呑み込んで、一人で不思議がつてゐる。三四郎は少時我慢してゐたが、とう/\焦れつたくなつて、与次郎に、美禰子に関する凡ての事実を隠さずに話して呉れと請求した。与次郎は笑ひ出した。さうして慰藉の為か何だか、飛んだ所へ話頭を持つて行つて仕舞つた。