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三四郎 三の三
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夏目金之助
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其日は何となく気が鬱して、面白くなかつたので、池の周囲を回る事は見合せて家へ帰つた。晩食後筆記を繰り返して読んで見たが、別に愉快にも不愉快にもならなかつた。母に言文一致の手紙をかいた。――学校は始まつた。是から毎日出る。学校は大変広い好い場所で、建物も大変美くしい。真中に池がある。池の周囲を散歩するのが楽しみだ。電車には近頃漸く乗り馴れた。何か買つて上げたいが、何が好いか分からないから、買つて上げない。欲しければ其方から云つて来て呉れ。今年の米は今に価が出るから、売らずに置く方が得だらう。三輪田の御光さんにはあまり愛想を善くしない方が好からう。東京へ来て見ると人はいくらでもゐる。男も多いが女も多い。と云ふ様な事をごた/\並べたものであつた。
手紙を書いて、英語の本を六七頁読んだら厭になつた。こんな本を一冊位読んでも駄目だと思ひ出した。床を取つて寐る事にしたが、寐つかれない。不眠症になつたら早く病院に行つて見て貰はう抔と考へてゐるうちに寐て仕舞つた。
翌日も例刻に学校へ行つて講義を聞いた。講義の間に今年の卒業生が何所其所へ幾何で売れたと云ふ話を耳にした。誰と誰がまだ残つてゐて、それがある官立学校の地位を競争してゐる噂だ抔と話してゐるものがあつた。三四郎は漠然と、未来が遠くから眼前に押し寄せる様な鈍い圧迫を感じたが、それはすぐ忘れて仕舞つた。寧ろ昇之助が何とかしたと云ふ方の話が面白かつた。そこで廊下で熊本出の同級生を捕まへて、昇之助とは何だと聞いたら、寄席へ出る娘義太夫だと教へて呉れた。夫から寄席の看板はこんなもので、本郷のどこにあると云ふ事迄云つて聞かせた上、今度の土曜に一所に行かうと誘つて呉れた。よく知つてると思つたら、此男は昨夜始めて、寄席へ這入つたのださうだ。三四郎は何だか寄席へ行つて昇之助が見度なつた。
昼飯を食ひに下宿へ帰らうと思つたら、昨日ポンチ画をかいた男が来て、おい/\と云ひながら、本郷の通りの淀見軒と云ふ所に引つ張つて行つて、ライスカレーを食はした。淀見軒と云ふ所は店で果物を売つてゐる。新らしい普請であつた。ポンチを画いた男は此建築の表を指して、是がヌーボー式だと教へた。三四郎は建築にもヌーボー式があるものかと始めて悟つた。帰り路に青木堂も教はつた。矢張り大学生のよく行く所ださうである。赤門を這入つて、二人で池の周囲を散歩した。其時ポンチ画の男は、死んだ小泉八雲先生は教員控室へ這入るのが嫌で講義が済むといつでも此周囲をぐる/\廻つてあるいたんだと、恰も小泉先生に教はつた様な事を云つた。何故控室へ這入らなかつたのだらうかと三四郎が尋ねたら、
「そりや当り前ださ。第一彼等の講義を聞いても解るぢやないか。話せるものは一人もゐやしない」と手痛い事を平気で云つたには三四郎も驚ろいた。此男は佐々木与次郎と云つて、専門学校を卒業して、ことし又撰科へ這入つたのださうだ。東片町の五番地の広田と云ふうちに居るから、遊びに来いと云ふ。下宿かと聞くと、なに高等学校の先生の家だと答へた。