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三四郎 三の四

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三四郎 三の四

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夏目金之助

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 それから当分の間三四郎は毎日学校へ通つて、律義に講義を聞いた。必修課目以外のものへも時々出席して見た。それでも、まだ物足りない。そこで遂には専攻課目に丸で縁故のないもの迄へも折々は顔を出した。然し大抵は二度か三度で已めて仕舞つた。一ヶ月と続いたのは少しも無かつた。それでも平均一週に約四十時間程になる。如何な勤勉な三四郎にも四十時間はちと多過ぎる。三四郎は断へず一種の圧迫を感じてゐた。然るに物足りない。三四郎は楽しまなくなつた。

 或日佐々木与次郎に逢つて其話をすると、与次郎は四十時間と聞いて、眼を丸くして、「馬鹿々々」と云つたが、「下宿屋のまづい飯を一日に十返食つたら物足りる様になるか考へて見ろ」といきなり警句でもつて三四郎を打しつけた。三四郎はすぐさま恐れ入つて、「どうしたら善からう」と相談をかけた。

「電車に乗るがいゝ」と与次郎が云つた。三四郎は何か寓意でもある事と思つて、しばらく考へて見たが、別に是と云ふ思案も浮ばないので、

「本当の電車か」と聞き直した。其時与次郎はげら/\笑つて、

「電車に乗つて、東京を十五六返乗り回してゐるうちには自から物足りる様になるさ」と云ふ。

「何故」

「何故つて、さう、活きてる頭を、死んだ講義で封じ込めちや、助からない。外へ出て風を入れるさ。其上に物足りる工夫はいくらでもあるが、まあ電車が一番の初歩で且尤も軽便だ」

 其日の夕方、与次郎は三四郎を拉して、四丁目から電車に乗つて、新橋へ行つて、新橋から又引き返して、日本橋へ来て、そこで下りて、

「どうだ」と聞いた。

 次に大通りから細い横町へ曲つて、平の家と云ふ看板のある料理屋へ上がつて、晩食を食つて酒を呑んだ。其所の下女はみんな京都弁を使ふ。甚だ纏綿してゐる。表へ出た与次郎は赤い顔をして、又

「どうだ」と聞いた。

 次に本場の寄席へ連れて行つてやると云つて、又細い横町へ這入つて、木原店と云ふ寄席へ上がつた。此所で小さんといふ話し家を聞いた。十時過ぎ通りへ出た与次郎は、又

「どうだ」と聞いた。

 三四郎は物足りたとは答へなかつた。然し満更物足りない心持もしなかつた。すると与次郎は大いに小さん論を始めた。

 小さんは天才である。あんな芸術家は滅多に出るものぢやない。何時でも聞けると思ふから安つぽい感じがして、甚だ気の毒だ。実は彼と時を同じうして生きてゐる我々は大変な仕合せである。今から少し前に生れても小さんは聞けない。少し後れても同様だ。――円遊も旨い。然し小さんとは趣が違つてゐる。円遊の扮した太鼓持は、太鼓持になつた円遊だから面白いので、小さんの遣る太鼓持は、小さんを離れた太鼓持だから面白い。円遊の演ずる人物から円遊を隠せば、人物が丸で消滅して仕舞ふ。小さんの演ずる人物から、いくら小さんを隠したつて、人物は活溌々地に躍動する許りだ。そこがえらい。

 与次郎はこんな事を云つて、又

「どうだ」と聞いた。実を云ふと三四郎には小さんの味ひが善く分らなかつた。其上円遊なるものは未だ嘗て聞いた事がない。従つて与次郎の説の当否は判定しにくい。然し其比較のほとんど文学的と云ひ得る程に要領を得たには感服した。

 高等学校の前で分れる時、三四郎は、

「難有う、大いに物足りた」と礼を述べた。すると与次郎は、

「是から先は図書館でなくつちや物足りない」と云つて片町の方へ曲がつて仕舞つた。此一言で三四郎は始めて図書館に這入る事を知つた。