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三四郎 六の四
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夏目金之助
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能く考へて見ると、与次郎の論文には活気がある。如何にも自分一人で新日本を代表してゐる様であるから、読んでゐるうちは、つい其気になる。けれども全く味がない。根拠地のない戦争の様なものである。のみならず悪く解釈すると、政略的の意味もあるかも知れない書方である。田舎者の三四郎にはてつきり其所と気取る事は出来なかつたが、たゞ読んだあとで、自分の心を探つて見て何所かに不満足がある様に覚えた。また美禰子の絵端書を取つて、二匹の羊と例の悪魔を眺め出した。すると、此方のほうは万事が快感である。此快感につれて前の不満足は益著しくなつた。それで論文の事はそれぎり考へなくなつた。美禰子に返事を遣らうと思ふ。不幸にして絵がかけない。文章にしやうと思ふ。文章なら此絵端書に匹敵する文句でなくつては不可ない。それは容易に思ひ付けない。愚図々々してゐるうちに四時過になつた。
袴を着けて、与次郎を誘ひに、西片町へ行く。勝手口から這入ると、茶の間に、広田先生が小さな食卓を控へて、晩食を食つてゐた。傍に与次郎が畏まつて御給仕をしてゐる。
「先生何うですか」と聞いてゐる。
先生は何か硬いものを頬張つたらしい。食卓の上を見ると、袂時計程な大きさの、赤くつて黒くつて、焦げたものが十ばかり皿の中に並んでゐる。
三四郎は座に着いた。礼をする。先生は口をもが/\させる。
「おい君も一つ食つて見ろ」と与次郎が箸で撮んで出した。掌へ載せて見ると、馬鹿貝の剥身の干したのをつけ焼にしたのである。
「妙なものを食ふな」と聞くと、
「妙なものつて、旨いぜ食つて見ろ。是はね、僕がわざ/\先生に見舞に買つて来たんだ。先生はまだ、これを食つた事がないと仰しやる」
「何所から」
「日本橋から」
三四郎は可笑しくなつた。かう云ふ所になると、さつきの論文の調子とは少し違ふ。
「先生、どうです」
「硬いね」
「硬いけれども旨いでせう。よく噛まなくつちや不可ません。噛むと味が出る」
「味が出る迄噛んでゐちや、歯が疲れて仕舞ふ。何でこんな古風なものを買つて来たものかな」
「不可ませんか。こりや、ことによると先生には駄目かも知れない。里見の美禰子さんなら可いだらう」
「何故」と三四郎が聞いた。
「あゝ落ち付いてゐりや、味の出る迄屹度噛んでるに違ない」
「あの女は落ち付いて居て、乱暴だ」と広田が云つた。
「えゝ乱暴です。イブセンの女の様な所がある」
「イブセンの女は露骨だが、あの女は心が乱暴だ。尤も乱暴と云つても、普通の乱暴とは意味が違ふが。野々宮の妹の方が、一寸見ると乱暴の様で、矢っ張り女らしい。妙なものだね」
「里見のは乱暴の内訌ですか」
三四郎は黙つて二人の批評を聞いてゐた。何方の批評も腑に落ちない。乱暴といふ言葉が、どうして美禰子の上に使へるか、それからが第一不思議であつた。