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三四郎 六の五

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三四郎 六の五

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夏目金之助

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 与次郎はやがて、袴を穿いて、改まつて出て来て、

「一寸行つて参ります」と云ふ。先生は黙つて茶を飲んでゐる。二人は表へ出た。表はもう暗い。門を離れて二三間来ると、三四郎はすぐ話しかけた。

「先生は里見の御嬢さんを乱暴だと云つたね」

「うん。先生は勝手な事をいふ人だから、時と場合によると何でも云ふ。第一先生が女を評するのが滑稽だ。先生の女に於る知識は恐らく零だらう。ラツヴをした事がないものに女が分るものか」

「先生はそれで可いとして、君は先生の説に賛成したぢやないか」

「うん乱暴だと云つた。何是」

「何う云ふ所を乱暴と云ふのか」

「何う云ふ所も、斯う云ふ所もありやしない。現代の女性はみんな乱暴に極つてる。あの女ばかりぢやない」

「君はあの人をイブセンの人物に似てゐると云つたぢやないか」

「云つた」

「イブセンの誰に似て居る積なのか」

「誰つて……似てゐるよ」

 三四郎は無論納得しない。然し追窮もしない。黙つて一間許歩いた。すると突然与次郎がかう云つた。

「イブセンの人物に似てゐるのは里見の御嬢さん許ぢやない、今の一般の女性はみんな似てゐる。女性ばかりぢやない。苟しくも新らしい空気に触れた男はみんなイブセンの人物に似た所がある。たゞ男も女もイブセンの様に自由行動を取らない丈だ。腹のなかでは大抵かぶれてゐる」

「僕はあんまり、かぶれてゐない」

「ゐないと自ら欺むいてゐるのだ。――どんな社会だつて陥欠のない社会はあるまい」

「それは無いだらう」

「無いとすれば、その中に生息してゐる動物は何所かに不足を感じる訳だ。イブセンの人物は、現代社会制度の陥欠を尤も明らかに感じたものだ。吾々も追々あゝ成つて来る」

「君はさう思ふか」

「僕ばかりぢやない。具眼の士はみんなさう思つてゐる」

「君の家の先生もそんな考か」

「うちの先生? 先生は解らない」

「だつて、先刻里見さんを評して、落ち付いてゐて乱暴だと云つたぢやないか。それを解釈して見ると、周囲に調和して行けるから、落ち付いてゐられるので、何所かに不足があるから、底の方が乱暴だと云ふ意味ぢやないのか」

「成程。――先生は偉い所があるよ。あゝいふ所へ行くと矢っ張り偉い」と与次郎は急に広田先生を賞め出した。三四郎は美禰子の性格に就てもう少し議論の歩を進めたかつたのだが、与次郎の此一言で全くはぐらかされて仕舞つた。すると与次郎が云つた。

「実は今日君に用があると云つたのはね。――うん、夫より前に、君あの偉大なる暗闇を読んだか。あれを読んで置かないと僕の用事が頭へ這入り悪い」

「今日あれから家へ帰つて読んだ」

「どうだ」

「先生は何と云つた」

「先生は読むものかね。丸で知りやしない」

「さうさな。面白い事は面白いが、――何だか腹の足にならない麦酒を飲んだ様だね」

「それで沢山だ。読んで景気が付きさへすれば可い。だから慝名にしてある。どうせ今は準備時代だ。かうして置いて、丁度宜い時分に、本名を名乗つて出る。――夫は夫として、先刻の用事を話して置かう」