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三四郎 六の七

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三四郎 六の七

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夏目金之助

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 木造の廊下を回つて、部屋へ這入ると、早く来たものは、もう塊まつてゐる。其塊りが大きいのと小さいのと合せて三つ程ある。中には無言で備付の雑誌や新聞を見ながら、わざと列を離れてゐるのもある。話は方々に聞える。話の数は塊まりの数より多い様に思はれる。然し割合に落付いて静かである。烟草の烟の方が猛烈に立ち上る。

 其中だん/\寄つて来る。黒い影が闇の中から吹き曝しの廊下の上へ、ぽつりと現はれると、それが一人々々に明るくなつて、部屋の中へ這入つて来る。時には五六人続けて、明るくなる事もある。やがて人数は略揃つた。

 与次郎は、さつきから、烟草の烟りの中を、しきりに彼方此方と往来してゐた。行く所で何か小声に話してゐる。三四郎は、そろ/\運動を始めたなと思つて眺めて居た。

 しばらくすると幹事が大きな声で、みんなに席へ着けと云ふ。食卓は無論前から用意が出来てゐた。みんな、ごた/\に席へ着いた。順序も何もない。食事は始まつた。

 三四郎は熊本で赤酒許り飲んでゐた。赤酒といふのは、所で出来る下等な酒である。熊本の学生はみんな赤酒を呑む。それが当然と心得てゐる。たま/\飲食店へ上がれば牛肉屋である。その牛肉屋の牛が馬肉かも知れないといふ嫌疑がある。学生は皿に盛つた肉を手攫みにして、座敷の壁へ抛き付ける。落ちれば牛肉で、貼付けば馬肉だといふ。丸で呪見た様な事をしてゐた。其三四郎に取つて、かう云ふ紳士的な学生親睦会は珍らしい。悦んで肉刀と肉叉を動かしてゐた。其間には麦酒をさかんに飲んだ。

「学生集会所の料理は不味いですね」と三四郎の隣りに坐つた男が話しかけた。此男は頭を坊主に刈つて、金縁の眼鏡を掛けた大人しい学生であつた。

「さうですな」と三四郎は生返事をした。相手が与次郎なら、僕の様な田舎者には非常に旨いと正直な所をいふ筈であつたが、其正直が却つて皮肉に聞えると悪いと思つて已めにした。すると其男が、

「君は何所の高等学校ですか」と聞き出した。

「熊本です」

「熊本ですか。熊本には僕の従弟も居たが、随分ひどい所ださうですね」

「野蛮な所です」

 二人が話してゐると、向ふの方で、急に高い声がし出した。見ると与次郎が隣席の二三人を相手に、しきりに何か弁じてゐる。時々ダーター、フアブラと云ふ。何の事だか分らない。然し与次郎の相手は、此言葉を聞くたびに笑ひ出す。与次郎は益得意になつて、ダーター、フアブラ我々新時代の青年は……とやつてゐる。三四郎の筋向に坐つてゐた色の白い品の好い学生が、しばらく肉刀の手を休めて、与次郎の連中を眺めてゐたが、やがて笑ひながら、Il a le diable au corps(悪魔が乗り移つてゐる)と冗談半分に仏蘭西語を使つた。向ふの連中には全く聞えなかつたと見えて、此時麦酒の洋盃が四つ許り一度に高く上がつた。得意さうに祝盃を挙げてゐる。

「あの人は大変賑やかな人ですね」と三四郎の隣りの金縁眼鏡を掛けた学生が云つた。

「えゝ。よく舌ます」

「僕はいつか、あの人に淀見軒でライスカレーを御馳走になつた。丸で知らないのに、突然来て君淀見軒へ行かうつて、とう/\引張つて行つて……」

 学生はハヽヽと笑つた。三四郎は、淀見軒で与次郎からライスカレーを御馳走になつたものは自分ばかりではないんだなと悟つた。