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三四郎 八の四
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夏目金之助
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三四郎は其晩与次郎の性格を考へた。永く東京に居るとあんなになるものかと思つた。それから里見へ金を借りに行く事を考へた。美禰子の所へ行く用事が出来たのは嬉しい様な気がする。然し頭を下げて金を借りるのは難有くない。三四郎は生れてから今日に至る迄、人に金を借りた経験のない男である。其上貸すと云ふ当人が娘である。独立した人間ではない。たとひ金が自由になるとしても、兄の許諾を得ない内証の金を借りたとなると、借りる自分は兎に角、あとで、貸した人の迷惑になるかも知れない。或はあの女の事だから、迷惑にならない様に始から出来てゐるかとも思へる。何しろ逢つて見やう。逢つた上で、借りるのが面白くない様子だつたら、断わつて、少時下宿の払を延ばして置いて、国から取り寄せれば事は済む。――当用は此所迄考へて句切りを付けた。あとは散漫に美禰子の事が頭に浮んで来る。美禰子の顔や手や、襟や、帯や、着物やらを、想像に任せて、乗けたり除つたりしてゐた。ことに明日逢ふ時に、どんな態度で、どんな事を云ふだらうと其光景が十通りにも廿通りにもなつて色々に出て来る。三四郎は本来から斯んな男である。用談があつて人と会見の約束などをする時には、先方が何う出るだらうといふ事許り想像する。自分が、こんな顔をして、こんな事を、こんな声で云つて遣らう抔とは決して考へない。しかも会見が済むと後から屹度其方を考へる。さうして後悔する。
ことに今夜は自分の方を想像する余地がない。三四郎は此間から美禰子を疑つてゐる。然し疑ふばかりで一向埒が明かない。さうかと云つて面と向つて、聞き糺すべき事件は一つもないのだから、一刀両断の解決抔は思ひも寄らぬ事である。もし三四郎の安心の為に解決が必要なら、それはたゞ美禰子に接触する機会を利用して、先方の様子から、好い加減に最後の判決を自分に与へて仕舞ふ丈である。明日の会見は此判決に欠くべからざる材料である。だから、色々に向を想像して見る。しかし、どう想像しても、自分に都合の好い光景ばかり出て来る。それでゐて、実際は甚だ疑はしい。丁度汚ない所を奇麗な写真に取つて眺めてゐる様な気がする。写真は写真として何所迄も本当に違ないが、実物の汚ない事も争はれないと一般で、同じでなければならぬ筈の二つが決して一致しない。
最後に嬉しい事を思ひ付いた。美禰子は与次郎に金を貸すと云つた。けれども与次郎には渡さないと云つた。実際与次郎は金銭の上に於ては、信用し悪い男かも知れない。然し其意味で美禰子が渡さないのか、どうだか疑はしい。もし其意味でないとすると、自分には甚だ頼母しい事になる。たゞ金を貸して呉れる丈でも充分の好意である。自分に逢つて手渡しにしたいと云ふのは――三四郎は此所迄己惚て見たが、忽ち、
「矢っ張り愚弄ぢやないか」と考へ出して、急に赤くなつた。もし、ある人があつて、其女は何の為に君を愚弄するのかと聞いたら、三四郎は恐らく答へ得なかつたらう。強ひて考へて見ろと云はれたら、三四郎は愚弄其物に興味を有つてゐる女だからと迄は答へたかも知れない。自分の己惚を罰する為とは全く考へ得なかつたに違ない。――三四郎は美禰子の為に己惚しめられたんだと信じてゐる。