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硝子戸の中 第十八章

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硝子戸の中 第十八章

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夏目漱石

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 私の座敷へ通されたある若い女が、「どうも自分の周囲がきちんと片づかないで困りますが、どうしたら宜しいものでしょう」と聞いた。

 この女はある親戚の宅に寄寓しているので、そこが手狭な上に、子供などが蒼蠅いのだろうと思った私の答は、すこぶる簡単であった。

「どこかさっぱりした家を探して下宿でもしたら好いでしょう」

「いえ部屋の事ではないので、頭の中がきちんと片づかないで困るのです」

 私は私の誤解を意識すると同時に、女の意味がまた解らなくなった。それでもう少し進んだ説明を彼女に求めた。

「外からは何でも頭の中に入って来ますが、それが心の中心と折合がつかないのです」

「あなたのいう心の中心とはいったいどんなものですか」

「どんなものと云って、真直な直線なのです」

 私はこの女の数学に熱心な事を知っていた。けれども心の中心が直線だという意味は無論私に通じなかった。その上中心とははたして何を意味するのか、それもほとんど不可解であった。女はこう云った。

「物には何でも中心がございましょう」

「それは眼で見る事ができ、尺度で計る事のできる物体についての話でしょう。心にも形があるんですか。そんならその中心というものをここへ出して御覧なさい」

 女は出せるとも出せないとも云わずに、庭の方を見たり、膝の上で両手を擦ったりしていた。

「あなたの直線というのは比喩じゃありませんか。もし比喩なら、円と云っても四角と云っても、つまり同じ事になるのでしょう」

「そうかも知れませんが、形や色が始終変っているうちに、少しも変らないものが、どうしてもあるのです」

「その変るものと変らないものが、別々だとすると、要するに心が二つある訳になりますが、それで好いのですか。変るものはすなわち変らないものでなければならないはずじゃありませんか」

 こう云った私はまた問題を元に返して女に向った。

「すべて外界のものが頭のなかに入って、すぐ整然と秩序なり段落なりがはっきりするように納まる人は、おそらくないでしょう。失礼ながらあなたの年齢や教育や学問で、そうきちんと片づけられる訳がありません。もしまたそんな意味でなくって、学問の力を借りずに、徹底的にどさりと納まりをつけたいなら、私のようなものの所へ来ても駄目です。坊さんの所へでもいらっしゃい」

 すると女が私の顔を見た。

「私は始めて先生を御見上げ申した時に、先生の心はそういう点で、普通の人以上に整のっていらっしゃるように思いました」

「そんなはずがありません」

「でも私にはそう見えました。内臓の位置までが調っていらっしゃるとしか考えられませんでした」

「もし内臓がそれほど具合よく調節されているなら、こんなに始終病気などはしません」

「私は病気にはなりません」とその時女は突然自分の事を云った。

「それはあなたが私より偉い証拠です」と私も答えた。

 女は蒲団を滑り下りた。そうして、「どうぞ御身体を御大切に」と云って帰って行った。