title
彼岸過迄 第十五章
author
夏目漱石
body
けれども身の一大事を即座に決定するという非常な場合と違って、敬太郎の思案には屈託の裏に、どこか呑気なものがふわふわしていた。この道をとどのつまりまで進んで見ようか、またはこれぎりやめにして、さらに新らしいものに移る支度をしようか。問題は煎じつめるまでもなく当初から至極簡単にでき上っていたのである。それに迷うのは、一度籤を引き損なったが最後、もう浮ぶ瀬はないという非道い目に会うからではなくって、どっちに転んでも大した影響が起らないため、どうでも好いという怠けた心持がいつしらず働らくからである。彼は眠い時に本を読む人が、眠気に抵抗する努力を厭いながら、文字の意味を判明頭に入れようと試みるごとく、呑気の懐で決断の卵を温めている癖に、ただ旨く孵化らない事ばかり苦にしていた。この不決断を逃れなければという口実の下に、彼は暗に自分の物数奇に媚びようとした。そうして自分の未来を売卜者の八卦に訴えて判断して見る気になった。彼は加持、祈祷、御封、虫封じ、降巫の類に、全然信仰を有つほど、非科学的に教育されてはいなかったが、それ相当の興味は、いずれに対しても昔から今日まで失わずに成長した男である。彼の父は方位九星に詳しい神経家であった。彼が小学校へ行く時分の事であったが、ある日曜日に、彼の父は尻を端折って、鍬を担ついだまま庭へ飛び下りるから、何をするのかと思って、後から跟いて行こうとすると、父は敬太郎に向って、御前はそこにいて、時計を見ていろ、そうして十二時が鳴り出したら、大きな声を出して合図をしてくれ、すると御父さんがあの乾に当る梅の根っこを掘り始めるからと云いつけた。敬太郎は子供心にまた例の家相だと思って、時計がちんと鳴り出すや否や命令通り、十二時ですようと大きな声で叫んだ。それで、その場は無事に済んだが、あれほど正確に鍬を下ろすつもりなら、肝心の時計が狂っていないようにあらかじめ直しておかなくてはならないはずだのにと敬太郎は父の迂闊をおかしく思った。学校の時計と自分の家のとはその時二十分近く違っていたからである。ところがその後摘草に行った帰りに、馬に蹴られて土堤から下へ転がり落ちた事がある。不思議に怪我も何もしなかったのを、御祖母さんが大層喜んで、全く御地蔵様が御前の身代りに立って下さった御蔭だこれ御覧と云って、馬の繋いであった傍にある石地蔵の前に連れて行くと、石の首がぽくりと欠けて、涎掛だけが残っていた。敬太郎の頭にはその時から怪しい色をした雲が少し流れ込んだ。その雲が身体の具合や四辺の事情で、濃くなったり薄くなったりする変化はあるが、成長した今日に至るまで、いまだに抜け切らずにいた事だけはたしかである。
こういう訳で、彼は明治の世に伝わる面白い職業の一つとして、いつでも大道占いの弓張提灯を眺めていた。もっとも金を払って筮竹の音を聞くほどの熱心はなかったが、散歩のついでに、寒い顔を提灯の光に映した女などが、悄然そこに立っているのを見かけると、この暗い影を未来に投げて、思案に沈んでいる憐れな人に、易者がどんな希望と不安と畏怖と自信とを与えるだろうという好奇心に惹かされて、面白半分、そっと傍へ寄って、陰の方から立聞をする事がしばしばあった。彼の友の某が、自分の脳力に悲観して、試験を受けようか学校をやめようかと思い煩っている頃、ある人が旅行のついでに、善光寺如来の御神籤をいただいて第五十五の吉というのを郵便で送ってくれたら、その中に雲散じて月重ねて明らかなり、という句と、花発いて再び重栄という句があったので、物は試しだからまあ受けて見ようと云って、受けたら綺麗に及第した時、彼は興に乗って、方々の神社で手当りしだい御神籤をいただき廻った事さえある。しかもそれは別にこれという目的なしにいただいたのだから彼は平生でも、優に売卜者の顧客になる資格を充分具えていたに違ない。その代り今度のような場合にも、どこか慰さみがてらに、まあやって見ようという浮気がだいぶ交っていた。