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彼岸過迄 第十七章
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夏目漱石
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よく見るとこれは一軒の生薬屋の店を仕切って、その狭い方へこざっぱりした差掛様のものを作ったので、中に七色唐辛子の袋を並べてあるから、看板の通りそれを売る傍ら、占ないを見る趣向に違ない。敬太郎はこう観察して、そっと餡転餅屋に似た差掛の奥を覗いて見ると、小作りな婆さんがたった一人裁縫をしていた。狭い室一つの住居としか思われないのに、肝心の易者の影も形も見えないから、主人は他行中で、細君が留守番をしているところかとも思ったが、店先の構造から推すと、奥は生薬屋の方と続いているかも知れないので、一概に留守と見切をつける訳にも行かなかった。それで二三歩先へ出て、薬種店の方を覗くと、八ツ目鰻の干したのも釣るしてなければ、大きな亀の甲も飾ってないし、人形の腹をがらん胴にして、五色の五臓を外から見えるように、腹の中の棚に載せた古風の装飾もなかった。一本寺の隠居に似た髯のある爺さんは固より坐っていなかった。彼は再び立ち戻って、身の上判断文銭占ないという看板のかかった入口から暖簾を潜って内へ入った。裁縫をしていた婆さんは、針の手をやめて、大きな眼鏡の上から睨むように敬太郎を見たが、ただ一口、占ないですかと聞いた。敬太郎は「ええちょっと見て貰いたいんだが、御留守のようですね」と云った。すると婆さんは、膝の上のやわらか物を隅の方へ片づけながら、御上りなさいと答えた。敬太郎は云われる通り素直に上って見ると、狭いけれども居心地の悪いほど汚れた室ではなかった。現に畳などは取り替え立てでまだ新らしい香がした。婆さんは煮立った鉄瓶の湯を湯呑に注いで、香煎を敬太郎の前に出した。そうして昔は薬箱でも載せた棚らしい所に片づけてあった小机を取りおろしにかかった。その机には無地の羅紗がかけてあったが、婆さんはそれをそのまま敬太郎の正面に据えて、そうして再び故の座に帰った。
「占ないは私がするのです」
敬太郎は意外の感に打たれた。この小いさい丸髷に結った。黒繻子の襟のかかった着物の上に、地味な縞の羽織を着た、一心に縫物をしている、純然家庭的の女が、自分の未来に横たわる運命の予言者であろうとは全く想像のほかにあったのである。その上彼はこの婦人の机の上に、筮竹も算木も天眼鏡もないのを不思議に眺めた。婆さんは机の上に乗っている細長い袋の中からちゃらちゃらと音をさせて、穴の開いた銭を九つ出した。敬太郎は始めてこれが看板に「文銭占ない」とある文銭なるものだろうと推察したが、さてこの九枚の文銭が、暗い中で自分を操っている運命の糸と、どんな関係を有っているか、固より想像し得るはずがないので、ただそこに鋳出された模様と、それがしまってあった袋とを見比べるだけで、何事も云わずにいた。袋は能装束の切れ端か、懸物の表具の余りで拵らえたらしく、金の糸が所々に光っているけれども、だいぶ古いものと見えて、手擦と時代のため、派手な色を全く失っていた。
婆さんは年寄に似合わない白い繊麗な指で、九枚の文銭を三枚ずつ三列に並べたが、ひょっと顔を上げて、「身の上を御覧ですか」と聞いた。
「さあ一生涯の事を一度に聞いておいても損はないが、それよりか今ここでどうしたらいいか、その方をきめてかかる方が僕には大切らしいから、まあそれを一つ願おう」
婆さんはそうですかと答えたが、それで御年はとまた敬太郎の年齢を尋ねた。それから生れた月と日を確めた。その後で胸算用でもする案排しきで、指を折って見たり、ただ考がえたりしていたが、やがてまた綺麗な指で例の文銭を新らしく並べ更えた。敬太郎は表に波が出たり、あるいは文字が現われたりして、三枚が三列に続く順序と排列を、深い意味でもあるような眼つきをして見守っていた。