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それから 十七の二
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夏目漱石
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翌日は又燬け付く様に日が高く出た。外は猛烈な光で一面にいら/\し始めた。代助は我慢して八時過に漸く起きた。起きるや否や眼がぐらついた。平生の如く水を浴びて、書斎へ這入つて凝と竦んだ。
所へ門野が来て、御客さまですと知らせたなり、入口に立つて、驚ろいた様に代助を見た。代助は返事をするのも退儀であつた。客は誰だと聞き返しもせずに手で支へた儘の顔を、半分ばかり門野の方へ向き易へた。其時客の足音が椽側にして、案内も待たずに兄の誠吾が這入つて来た。
「やあ、此方へ」と席を勧めたのが代助にはやうやうであつた。誠吾は席に着くや否や、扇子を出して、上布の襟を開く様に、風を送つた。此暑さに脂肪が焼けて苦しいと見えて、荒い息遣をした。
「暑いな」と云つた。
「御宅でも別に御変りもありませんか」と代助は、左も疲れ果てた人の如くに尋ねた。
二人は少時例の通りの世間話をした。代助の調子態度は固より尋常ではなかつた。けれども兄は決して何うしたとも聞かなかつた。話の切れ目へ来た時、
「今日は実は」と云ひながら、懐へ手を入れて、一通の手紙を取り出した。
「実は御前に少し聞きたい事があつて来たんだがね」と封筒の裏を代助の方へ向けて、
「此男を知つてるかい」と聞いた。其所には平岡の宿所姓名が自筆で書いてあつた。
「知つてます」と代助は殆んど器械的に答へた。
「元、御前の同級生だつて云ふが、本当か」
「さうです」
「此男の細君も知つてるのかい」
「知つてゐます」
兄は又扇を取り上げて、二三度ぱち/\と鳴らした。それから、少し前へ乗り出す様に、声を一段落した。
「此男の細君と、御前が何か関係があるのかい」
代助は始めから万事を隠す気はなかつた。けれども斯う単簡に聞かれたときに、何うして此複雑な経過を、一言で答へ得るだらうと思ふと、返事は容易に口へは出なかつた。兄は封筒の中から、手紙を取り出した。それを四五寸ばかり捲き返して、
「実は平岡と云ふ人が、斯う云ふ手紙を御父さんの所へ宛ゝ寄こしたんだがね。――読んで見るか」と云つて、代助に渡した。代助は黙つて手紙を受取つて、読み始めた。兄は凝と代助の額の所を見詰めてゐた。
手紙は細かい字で書いてあつた。一行二行と読むうちに、読み終つた分が、代助の手先から長く垂れた。それが二尺余になつても、まだ尽きる気色はなかつた。代助の眼はちらちらした。頭が鉄の様に重かつた。代助は強いても仕舞迄読み通さなければならないと考へた。総身が名状しがたい圧迫を受けて、腋の下から汗が流れた。漸く結末へ来た時は、手に持つた手紙を巻き納める勇気もなかつた。手紙は広げられた儘洋卓の上に横はつた。
「其所に書いてある事は本当なのかい」と兄が低い声で聞いた。代助はたゞ、
「本当です」と答へた。兄は打衝を受けた人の様に一寸扇の音を留めた。しばらくは二人とも口を聞き得なかつた。良あつて兄が、
「まあ、何う云ふ了見で、そんな馬鹿な事をしたのだ」と呆れた調子で云つた。代助は依然として、口を開かなかつた。
「何んな女だつて、貰はうと思へば、いくらでも貰へるぢやないか」と兄がまた云つた。代助はそれでも猶黙つてゐた。三度目に兄が斯う云つた。――
「御前だつて満更道楽をした事のない人間でもあるまい。こんな不始末を仕出かす位なら、今迄折角金を使つた甲斐がないぢやないか」
代助は今更兄に向つて、自分の立場を説明する勇気もなかつた。彼はつい此間迄全く兄と同意見であつたのである。