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それから 三の三
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夏目漱石
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代助は今此親爺と対坐してゐる。廂の長い小さな部屋なので、居ながら庭を見ると、廂の先で庭が仕切られた様な感がある。少なくとも空は広く見えない。其代り静かで、落ち付いて、尻の据り具合が好い。
親爺は刻み烟草を吹かすので、手のある長い烟草盆を前へ引き付けて、時々灰吹をぽん/\と叩く。それが静かな庭へ響いて好い音がする。代助の方は金の吸口を四五本手烙の中へ並べた。もう鼻から烟を出すのが厭になつたので、腕組をして親爺の顔を眺めてゐる。其顔には年の割に肉が多い。それでゐて頬は痩けてゐる。濃い眉の下に眼の皮が弛んで見える。髭は真白と云はんよりは、寧ろ黄色である。さうして、話をするときに相手の膝頭と顔とを半々に見較べる癖がある。其時の眼の動かし方で、白眼が一寸ちらついて、相手に妙な心持をさせる。
老人は今斯んな事を云つてゐる。――
「さう人間は自分丈を考へるべきではない。世の中もある。国家もある。少しは人の為に何かしなくつては心持のわるいものだ。御前だつて、さう、ぶら/\してゐて心持の好い筈はなからう。そりや、下等社会の無教育のものなら格別だが、最高の教育を受けたものが、決して遊んで居て面白い理由がない。学んだものは、実地に応用して始めて趣味が出るものだからな」
「左様です」と代助は答へてゐる。親爺から説法されるたんびに、代助は返答に窮するから好加減な事を云ふ習慣になつてゐる。代助に云はせると、親爺の考は、万事中途半端に、或物を独り勝手に断定してから出立するんだから、毫も根本的の意義を有してゐない。しかのみならず、今利他本位でやつてるかと思ふと、何時の間にか利己本位に変つてゐる。言葉丈は滾々として、勿体らしく出るが、要するに端倪すべからざる空談である。それを基礎から打ち崩して懸かるのは大変な難事業だし、又必竟出来ない相談だから、始めより成るべく触らない様にしてゐる。所が親爺の方では代助を以て無論自己の太陽系に属すべきものと心得てゐるので、自己は飽までも代助の軌道を支配する権利があると信じて押して来る。そこで代助も已を得ず親爺といふ老太陽の周囲を、行儀よく廻転する様に見せてゐる。
「それは実業が厭なら厭で好い。何も金を儲ける丈が日本の為になるとも限るまいから。金は取らんでも構はない。金の為に兎や角云ふとなると、御前も心持がわるからう。金は今迄通り己が補助して遣る。おれも、もう何時死ぬか分らないし、死にや金を持つて行く訳にも行かないし。月々御前の生計位どうでもしてやる。だから奮発して何か為るが好い。国民の義務としてするが好い。もう三十だらう」
「左様です」
「三十になつて遊民として、のらくらしてゐるのは、如何にも不体裁だな」
代助は決してのらくらして居るとは思はない。たゞ職業の為に汚されない内容の多い時間を有する、上等人種と自分を考へてゐる丈である。親爺が斯んな事を云ふたびに、実は気の毒になる。親爺の幼稚な頭脳には、かく有意義に月日を利用しつゝある結果が、自己の思想情操の上に、結晶して吹き出してゐるのが、全く映らないのである。仕方がないから、真面目な顔をして、
「えゝ、困ります」と答へた。老人は頭から代助を小僧視してゐる上に、其返事が何時でも幼気を失はない、簡単な、世帯離れをした文句だものだから、馬鹿にするうちにも、どうも坊ちやんは成人しても仕様がない、困つたものだと云ふ気になる。さうかと思ふと、代助の口調が如何にも平気で、冷静で、はにかまず、もぢ付かず尋常極まつてゐるので、此奴は手の付け様がないといふ気にもなる。