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それから 六の二

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それから 六の二

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夏目漱石

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 紅茶々碗を持つた儘、書斎へ引き取つて、椅子へ腰を懸けて、茫然庭を眺めてゐると、瘤だらけの柘榴の枯枝と、灰色の幹の根方に、暗緑と暗紅を混ぜ合はした様な若い芽が、一面に吹き出してゐる。代助の眼には夫がぱつと映じた丈で、すぐ刺激を失つて仕舞つた。

 代助の頭には今具体的な何物をも留めてゐない。恰かも戸外の天気の様に、それが静かに凝と働らいてゐる。が、其底には微塵の如き本体の分らぬものが無数に押し合つてゐた。乾酪の中で、いくら虫が動いても、乾酪が元の位置にある間は、気が付かないと同じ事で、代助も此微震には殆んど自覚を有してゐなかつた。たゞ、それが生理的に反射して来る度に、椅子の上で、少し宛身体の位置を変へなければならなかつた。

 代助は近頃流行語の様に人が使ふ、現代的とか不安とか云ふ言葉を、あまり口にした事がない。それは、自分が現代的であるのは、云はずと知れてゐると考へたのと、もう一つは、現代的であるがために、必ずしも、不安になる必要がないと、自分丈で信じて居たからである。

 代助は露西亜文学に出て来る不安を、天候の具合と、政治の圧迫で解釈してゐる。仏蘭西文学に出てくる不安を、有夫姦の多いためと見てゐる。ダヌンチオによつて代表される以太利文学の不安を、無制限の堕落から出る自己欠損の感と判断してゐる。だから日本の文学者が、好んで不安と云ふ側からのみ社会を描き出すのを、舶来の唐物の様に見傚してゐる。

 理智的に物を疑ふ方の不安は、学校時代に、有つたにはあつたが、ある所迄進行して、ぴたりと留つて、夫から逆戻りをして仕舞つた。丁度天へ向つて石を抛げた様なものである。代助は今では、なまじい石抔を抛げなければ可かつたと思つてゐる。禅坊さんの所謂大疑現前抔と云ふ境界は、代助のまだ踏み込んだ事のない未知国である。代助は、斯う真卒性急に万事を疑ふには、あまりに利口に生れ過ぎた男である。

 代助は門野の賞めた「煤烟」を読んでゐる。今日は紅茶々碗の傍に新聞を置いたなり、開けて見る気にならない。ダヌンチオの主人公は、みんな金に不自由のない男だから、贅沢の結果あゝ云ふ悪戯をしても無理とは思へないが、「煤烟」の主人公に至つては、そんな余地のない程に貧しい人である。それを彼所迄押して行くには、全く情愛の力でなくつちや出来る筈のものでない。所が、要吉といふ人物にも、朋子といふ女にも、誠の愛で、已むなく社会の外に押し流されて行く様子が見えない。彼等を動かす内面の力は何であらうと考へると、代助は不審である。あゝいふ境遇に居て、あゝ云ふ事を断行し得る主人公は、恐らく不安ぢやあるまい。これを断行するに躇する自分の方にこそ寧ろ不安の分子があつて然るべき筈だ。代助は独りで考へるたびに、自分は特殊人だと思ふ。けれども要吉の特殊人たるに至つては、自分より遥かに上手であると承認した。それで此間迄は好奇心に駆られて「煤烟」を読んでゐたが、昨今になつて、あまりに、自分と要吉の間に懸隔がある様に思はれ出したので、眼を通さない事がよくある。

 代助は椅子の上で、時々身を動かした。さうして、自分では飽く迄落ち付いて居ると思つてゐた。やがて、紅茶を呑んで仕舞つて、例の通り読書に取りかゝつた。約二時間ばかりは故障なく進行したが、ある頁の中頃まで来て急に休めて頬杖を突いた。さうして、傍にあつた新聞を取つて、「煤烟」を読んだ。呼吸の合はない事は同じ事である。それから外の雑報を読んだ。大隈伯が高等商業の紛擾に関して、大いに騒動しつゝある生徒側の味方をしてゐる。それが中々強い言葉で出てゐる。代助は斯う云ふ記事を読むと、是は大隈伯が早稲田へ生徒を呼び寄せる為の方便だと解釈する。代助は新聞を放り出した。