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それから 六の四

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それから 六の四

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夏目漱石

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 平岡の家は、此十数年来の物価騰貴に伴れて、中流社会が次第々々に切り詰められて行く有様を、住宅の上に善く代表してゐる、尤も粗悪な見苦しき構へである。とくに代助には左様見えた。

 門と玄関の間が一間位しかない。勝手口も其通りである。さうして裏にも、横にも同じ様な窮屈な家が建てられてゐる。東京市の貧弱なる膨脹に付け込んで、最低度の資本家が、なけなしの元手を二割乃至三割の高利に廻さうと目論で、あたぢけなく拵へ上げた、生存競争の記念である。

 今日の東京市、ことに場末の東京市には、至る所に此種の家が散点してゐる、のみならず、梅雨に入つた蚤の如く、日毎に、格外の増加律を以て殖えつゝある。代助はかつて、是を敗亡の発展と名づけた。さうして、之を目下の日本を代表する最好の象徴とした。

 彼等のあるものは、石油缶の底を継ぎ合はせた四角な鱗で蔽はれてゐる。彼等の一つを借りて、夜中に柱の割れる音で眼を醒まさないものは一人もない。彼等の戸には必ず節穴がある。彼等の襖は必ず狂ひが出ると極つてゐる。資本を頭の中へ注ぎ込んで、月々其頭から利息を取つて生活しやうと云ふ人間は、みんな斯ういふ所を借りて立て籠つてゐる。平岡も其一人である。

 代助は垣根の前を通るとき、先づ其屋根に眼が付いた。さうして、どす黒い瓦の色が妙に彼の心を刺激した。代助には此光のない土の板が、いくらでも水を吸ひ込む様に思はれた。玄関前に、此間引越のときに解いた菰包の藁屑がまだ零れてゐた。座敷へ通ると、平岡は机の前へ坐つて、長い手紙を書き掛けてゐる所であつた。三千代は次の部屋で簟笥の環をかたかた鳴らしてゐた。傍に大きな行李が開けてあつて、中から奇麗な長繻絆の袖が半分出かかつてゐた。

 平岡が、失敬だが鳥渡待つて呉れと云つた間に、代助は行李と長繻絆と、時々行李の中へ落ちる繊い手とを見てゐた。襖は明けた儘閉て切る様子もなかつた。が三千代の顔は陰になつて見えなかつた。

 やがて、平岡は筆を机の上へ抛げ付ける様にして、座を直した。何だか込み入つた事を懸命に書いてゐたと見えて、耳を赤くしてゐた。眼も赤くしてゐた。

「何うだい。此間は色々難有う。其後一寸礼に行かうと思つて、まだ行かない」

 平岡の言葉は言訳と云はんより寧ろ挑戦の調子を帯びてゐる様に聞こえた。襯衣も股引も着けずにすぐ胡坐をかいた。襟を正しく合せないので、胸毛が少し出ゝゐる。

「まだ落ち付かないだらう」と代助が聞いた。

「落ち付く所か、此分ぢや生涯落ち付きさうもない」と、いそがしさうに烟草を吹かし出した。

 代助は平岡が何故こんな態度で自分に応接するか能く心得てゐた。決して自分に中るのぢやない、つまり世間に中るんである、否己れに中つてゐるんだと思つて、却つて気の毒になつた。けれども代助の様な神経には、此調子が甚だ不愉快に響いた。たゞ腹が立たない丈である。

「宅の都合は、どうだい。間取の具合は可ささうぢやないか」

「うん、まあ、悪くつても仕方がない。気に入つた家へ這入らうと思へば、株でも遣るより外に仕様がなからう。此頃東京に出来る立派な家はみんな株屋が拵へるんだつて云ふぢやないか」

「左様かも知れない。其代り、あゝ云ふ立派な家が一軒立つと、其陰に、どの位沢山な家が潰れてゐるか知れやしない」

「だから猶住み好いだらう」

 平岡は斯う云つて大いに笑つた。其所へ三千代が出て来た。先達てはと、軽く代助に挨拶をして、手に持つた赤いフランネルのくる/\と巻いたのを、坐ると共に、前へ置いて、代助に見せた。

「何ですか、それは」

「赤坊の着物なの。拵へた儘、つい、まだ、解かずにあつたのを、今行李の底を見たら有つたから、出して来たんです」と云ひながら、附紐を解いて筒袖を左右に開いた。

「こら」

「まだ、そんなものを仕舞つといたのか。早く壊して雑巾にでもして仕舞へ」