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それから 十三の四
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夏目漱石
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代助は三千代に平岡の近来の模様を尋ねて見た。三千代は例によつて多くを語る事を好まなかつた。然し平岡の妻に対する仕打が結婚当時と変つてゐるのは明かであつた。代助は夫婦が東京へ帰つた当時既にそれを見抜いた。夫から以後改まつて両人の腹の中を聞いた事はないが、それが日毎に好くない方に、速度を加へて進行しつゝあるのは殆んど争ふべからざる事実と見えた。夫婦の間に、代助と云ふ第三者が点ぜられたがために、此疎隔が起つたとすれば、代助は此方面に向つて、もつと注意深く働らいたかも知れなかつた。けれども代助は自己の悟性に訴へて、さうは信ずる事が出来なかつた。彼は此結果の一部分を三千代の病気に帰した。さうして、肉体上の関係が、夫の精神に反響を与へたものと断定した。又其一部分を子供の死亡に帰した。それから、他の一部分を平岡の遊蕩に帰した。又他の一部分を会社員としての平岡の失敗に帰した。最後に、残りの一部分を、平岡の放埒から生じた経済事状に帰した。凡てを概括した上で、平岡は貰ふべからざる人を貰ひ、三千代は嫁ぐ可からざる人に嫁いだのだと解決した。代助は心の中で痛く自分が平岡の依頼に応じて、三千代を彼の為に周旋した事を後悔した。けれども自分が三千代の心を動かすが為に、平岡が妻から離れたとは、何うしても思ひ得なかつた。
同時に代助の三千代に対する愛情は、此夫婦の現在の関係を、必須条件として募りつゝある事もまた一方では否み切れなかつた。三千代が平岡に嫁ぐ前、代助と三千代の間柄は、どの位の程度迄進んでゐたかは、しばらく措くとしても、彼は現在の三千代には決して無頓着でゐる訳には行かなかつた。彼は病気に冒された三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は小供を亡くなした三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は夫の愛を失ひつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。彼は生活難に苦しみつゝある三千代をたゞの昔の三千代よりは気の毒に思つた。但し、代助は此夫婦の間を、正面から永久に引き放さうと試みる程大胆ではなかつた。彼の愛はさう逆上してはゐなかつた。
三千代の眼のあたり、苦しんでゐるのは経済問題であつた。平岡が自力で給し得る丈の生活費を勝手の方へ回さない事は、三千代の口吻で慥であつた。代助は此点丈でもまづ何うかしなければなるまいと考へた。それで、
「一つ私が平岡君に逢つて、能く話して見やう」と云つた。三千代は淋しい顔をして代助を見た。旨く行けば結構だが、遣り損なへば益三千代の迷惑になる許だとは代助も承知してゐたので、強ひて左様しやうとも主張しかねた。三千代は又立つて次の間から一封の書状を持つて来た。書状は薄青い状袋へ這入つてゐた。北海道にゐる父から三千代へ宛たものであつた。三千代は状袋の中から長い手紙を出して、代助に見せた。
手紙には向ふの思はしくない事や、物価の高くて活計にくい事や、親類も縁者もなくて心細い事や、東京の方へ出たいが都合はつくまいかと云ふ事や、――凡て憐れな事ばかり書いてあつた。代助は叮嚀に手紙を巻き返して、三千代に渡した。其時三千代は眼の中に涙を溜めてゐた。
三千代の父はかつて多少の財産と称へらるべき田畠の所有者であつた。日露戦争の当時、人の勧に応じて、株に手を出して全く遣り損なつてから、潔よく祖先の地を売り払つて、北海道へ渡つたのである。其後の消息は、代助も今此手紙を見せられる迄一向知らなかつた。親類はあれども無きが如しだとは三千代の兄が生きてゐる時分よく代助に語つた言葉であつた。果して三千代は、父と平岡ばかりを便に生きてゐた。
「貴方は羨ましいのね」と瞬きながら云つた。代助はそれを否定する勇気に乏しかつた。しばらくしてから又、
「何だつて、まだ奥さんを御貰ひなさらないの」と聞いた。代助は此問にも答へる事が出来なかつた。