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それから 十三の七

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それから 十三の七

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夏目漱石

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 代助は平岡の言語の如何に拘はらず、自分の云ふ事丈は云はうと極めた。なまじい、借金の催促に来たんぢやない抔と弁明すると、又平岡が其裏を行くのが癪だから、向ふの疳違は、疳違で構はないとして置いて、此方は此方の歩を進める態度に出た。けれども第一に困つたのは、平岡の勝手元の都合を、三千代の訴へによつて知つたと切り出しては、三千代に迷惑が掛るかも知れない。と云つて、問題が其所に触れなければ、忠告も助言も全く無益である。代助は仕方なしに迂回した。

「君は近来斯う云ふ所へ大分頻繁に出はいりをすると見えて、家のものとは、みんな御馴染だね」

「君の様に金回りが好くないから、さう豪遊も出来ないが、交際だから仕方がないよ」と云つて、平岡は器用な手付をして猪口を口へ着けた。

「余計な事だが、それで家の方の経済は、収支償なふのかい」と代助は思ひ切つて猛進した。

「うん。まあ、好い加減にやつてるさ」

 斯う云つた平岡は、急に調子を落して、極めて気のない返事をした。代助は夫限食ひ込めなくなつた。已を得ず、

「不断は今頃もう家へ帰つてゐるんだらう。此間僕が訪ねた時は大分遅かつた様だが」と聞いた。すると、平岡は矢張問題を回避する様な語気で、

「まあ帰つたり、帰らなかつたりだ。職業が斯う云ふ不規則な性質だから、仕方がないさ」と、半ば自分を弁護するためらしく、曖昧に云つた。

「三千代さんは淋しいだらう」

「なに大丈夫だ。彼奴も大分変つたからね」と云つて、平岡は代助を見た。代助は其眸の内に危しい恐れを感じた。ことによると、此夫婦の関係は元に戻せないなと思つた。もし此夫婦が自然の斧で割き限に割かれるとすると、自分の運命は取り帰しの付かない未来を眼の前に控えてゐる。夫婦が離れゝば離れる程、自分と三千代はそれ丈接近しなければならないからである。代助は即座の衝動の如くに云つた。――

「そんな事が、あらう筈がない。いくら、変つたつて、そりや唯年を取つた丈の変化だ。成るべく帰つて三千代さんに安慰を与へて遣れ」

「君はさう思ふか」と云ひさま平岡はぐいと飲んだ。代助は、たゞ、

「思ふかつて、誰だつて左様思はざるを得んぢやないか」と半ば口から出任せに答へた。

「君は三千代を三年前の三千代と思つてるか。大分変つたよ。あゝ、大分変つたよ」と平岡は又ぐいと飲んだ。代助は覚えず胸の動悸を感じた。

「同なじだ、僕の見る所では全く同じだ。少しも変つてゐやしない」

「だつて、僕は家へ帰つても面白くないから仕方がないぢやないか」

「そんな筈はない」

 平岡は眼を丸くして又代助を見た。代助は少し呼吸が逼つた。けれども、罪あるものが雷火に打たれた様な気は全たくなかつた。彼は平生にも似ず論理に合はない事をたゞ衝動的に云つた。然しそれは眼の前にゐる平岡のためだと固く信じて疑はなかつた。彼は平岡夫婦を三年前の夫婦にして、それを便に、自分を三千代から永く振り放さうとする最後の試みを、半ば無意識的に遣つた丈であつた。自分と三千代の関係を、平岡から隠す為の、糊塗策とは毫も考へてゐなかつた。代助は平岡に対して、左程に不信な言動を敢てするには、余りに高尚であると、優に自己を評価してゐた。しばらくしてから、代助は又平生の調子に帰つた。

「だつて、君がさう外へ許出てゐれば、自然金も要る。従つて家の経済も旨く行かなくなる。段々家庭が面白くなくなる丈ぢやないか」

 平岡は、白襯衣の袖を腕の中途迄捲り上げて、

「家庭か。家庭もあまり下さつたものぢやない。家庭を重く見るのは、君の様な独身者に限る様だね」と云つた。