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それから 十三の九

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それから 十三の九

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夏目漱石

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 其夜代助は平岡と遂に愚図々々で分れた。会見の結果から云ふと、何の為に平岡を新聞社に訪ねたのだか、自分にも分らなかつた。平岡の方から見れば、猶更左様であつた。代助は必竟何しに新聞社迄出掛て来たのか、帰る迄ついに問ひ詰めづに済んで仕舞つた。

 代助は翌日になつて独り書斎で、昨夕の有様を何遍となく頭の中で繰り返した。二時間も一所に話してゐるうちに、自分が平岡に対して、比較的真面目であつたのは、三千代を弁護した時丈であつた。けれども其真面目は、単に動機の真面目で、口にした言葉は矢張好加減な出任せに過ぎなかつた。厳酷に云へば、嘘許と云つても可かつた。自分で真面目だと信じてゐた動機でさへ、必竟は自分の未来を救ふ手段である。平岡から見れば、固より真摯なものとは云へなかつた。まして、其他の談話に至ると、始めから、平岡を現在の立場から、自分の望む所へ落し込まうと、たくらんで掛つた、打算的のものであつた。従つて平岡を何うする事も出来なかつた。

 もし思ひ切つて、三千代を引合に出して、自分の考へ通りを、遠慮なく正面から述べ立てたら、もつと強い事が云へた。もつと平岡を動揺る事が出来た。もつと彼の肺腑に入る事が出来た。に違ない。其代り遣り損へば、三千代に迷惑がかゝつて来る。平岡と喧嘩になる。かも知れない。

 代助は知らず/\の間に、安全にして無能力な方針を取つて、平岡に接してゐた事を腑甲斐なく思つた。もし斯う云ふ態度で平岡に当りながら、一方では、三千代の運命を、全然平岡に委ねて置けない程の不安があるならば、それは論理の許さぬ矛盾を、厚顔に犯してゐたと云はなければならない。

 代助は昔の人が、頭脳の不明瞭な所から、実は利己本位の立場に居りながら、自らは固く人の為と信じて、泣いたり、感じたり、激したり、して、其結果遂に相手を、自分の思ふ通りに動かし得たのを羨ましく思つた。自分の頭が、その位のぼんやりさ加減であつたら、昨夕の会談にも、もう少し感激して、都合のいゝ効果を収める事が出来たかも知れない。彼は人から、ことに自分の父から、熱誠の足りない男だと云はれてゐた。彼の解剖によると、事実は斯うであつた。人間は熱誠を以て当つて然るべき程に、高尚な、真摯な、純粋な、動機や行為を常住に有するものではない。夫よりも、ずつと下等なものである。其下等な動機や行為を、熱誠に取り扱ふのは、無分別なる幼稚な頭脳の所有者か、然らざれば、熱誠を衒つて、己れを高くする山師に過ぎない。だから彼の冷淡は、人間としての進歩とは云へまいが、よりよく人間を解剖した結果には外ならなかつた。彼は普通自分の動機や行為を、よく吟味して見て、其あまりに、狡黠くつて、不真面目で、大抵は虚偽を含んでゐるのを知つてゐるから、遂に熱誠な勢力を以てそれを遂行する気になれなかつたのである。と、彼は断然信じてゐた。

 此所で彼は一のヂレンマに達した。彼は自分と三千代との関係を、直線的に自然の命ずる通り発展させるか、又は全然其反対に出て、何も知らぬ昔に返るか。何方かにしなければ生活の意義を失つたものと等しいと考へた。其他のあらゆる中途半端の方法は、偽に始つて、偽に終るより外に道はない。悉く社会的に安全であつて、悉く自己に対して無能無力である。と考へた。

 彼は三千代と自分の関係を、天意によつて、――彼はそれを天意としか考へ得られなかつた。――醗酵させる事の社会的危険を承知してゐた。天意には叶ふが、人の掟に背く恋は、其恋の主の死によつて、始めて社会から認められるのが常であつた。彼は万一の悲劇を二人の間に描いて、覚えず慄然とした。

 彼は又反対に、三千代と永遠の隔離を想像して見た。其時は天意に従ふ代りに、自己の意志に殉する人にならなければ済まなかつた。彼は其手段として、父や嫂から勧められてゐた結婚に思ひ至つた。さうして、此結婚を肯ふ事が、凡ての関係を新にするものと考へた。