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三四郎 四の六

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三四郎 四の六

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夏目金之助

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 そのうち与次郎の尻が次第に落ち付いて来て、燈火親しむべし抔といふ漢語さへ借用して嬉しがる様になつた。話題は端なく広田先生の上に落ちた。

「君の所の先生の名は何と云ふのか」

「名は萇」と指で書いて見せて、「艸冠が余計だ。字引にあるか知らん。妙な名を付けたものだね」と云ふ。

「高等学校の先生か」

「昔から今日に至る迄高等学校の先生。えらいものだ。十年一日の如しと云ふが、もう十二三年になるだらう」

「子供は居るのか」

「小供どころか、まだ独身だ」

 三四郎は少し驚ろいた。あの年迄一人で居られるものかとも疑つた。

「何故奥さんを貰はないのだらう」

「そこが先生の先生たる所で、あれで大変な理論家なんだ。細君を貰つて見ない先から、細君はいかんものと理論で極つてゐるんださうだ。愚だよ。だから始終矛盾ばかりしてゐる。先生、東京程汚ない所はない様に云ふ。それで石の門を見ると恐れを作して、不可ん/\とか、立派過ぎるとかいふだらう」

「ぢや細君も試みに持つて見たら好からう」

「大いに佳しとか何とかいふかも知れない」

「先生は東京が汚ないとか、日本人が醜いとか云ふが、洋行でもした事があるのか」

「なにするもんか。あゝ云ふ人なんだ。万事頭の方が事実より発達してゐるんだから、あゝなるんだね。其代り西洋は写真で研究してゐる。巴理の凱旋門だの、倫敦の議事堂だの沢山持つてゐる。あの写真で日本を律するんだから堪らない。汚ない訳さ。それで自分の住んでる所は、いくら汚なくつても存外平気だから不思議だ」

「三等汽車へ乗つて居つたぞ」

「汚ない/\つて不平を云やしないか」

「いや別に不平も云はなかつた」

「然し先生は哲学者だね」

「学校で哲学でも教へてゐるのか」

「いや学校ぢや英語丈しか受持つてゐないがね、あの人間が、自から哲学に出来上つてゐるから面白い」

「著述でもあるのか」

「何にもない。時々論文を書く事はあるが、ちつとも反響がない。あれぢや駄目だ。丸で世間が知らないんだから仕様がない。先生、僕の事を丸行燈だといつたが、夫子自身は偉大な暗闇だ」

「どうかして、世の中へ出たら好ささうなものだな」

「出たら好ささうなものだつて、――先生、自分ぢや何にも遣らない人だからね。第一僕が居なけりや三度の飯さへ食へない人なんだ」

 三四郎は真逆と云はぬ許に笑ひ出した。

「嘘ぢやない。気の毒な程何にも遣らない人でね。何でも、僕が下女に命じて、先生の気に入る様に始末を付けるんだが――そんな瑣末な事は兎に角、是から大いに活動して、先生を一つ大学教授にして遣らうと思ふ」

 与次郎は真面目である。三四郎は其大言に驚ろいた。驚ろいても構はない。驚ろいた儘に進行して、仕舞に、

「引越をする時は是非手伝に来て呉れ」と頼んだ。丸で約束の出来た家が、とうからある如き口吻である。さうして直帰つた。