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三四郎 四の十
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夏目金之助
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二方は生垣で仕切つてある。四角な庭は十坪に足りない。三四郎は此狭い囲の中に立つた池の女を見るや否や、忽ち悟つた。――花は必ず剪つて、瓶裏に眺むべきものである。
此時三四郎の腰は縁側を離れた。女は折戸を離れた。
「失礼で御座いますが……」
女は此句を冒頭に置いて会釈した。腰から上を例の通り前へ浮かしたが、顔は決して下げない。会釈しながら、三四郎を見詰めてゐる。女の咽喉が正面から見ると長く延びた。同時に其眼が三四郎の眸に映つた。
二三日前三四郎は美学の教師からグルーズの画を見せてもらつた。其時美学の教師が、此人の画いた女の肖像は悉くラプチユアスな表情に富んでゐると説明した。ラプチユアス! 池の女の此時の眼付を形容するには是より外に言葉がない。何か訴へてゐる。艶なるあるものを訴へてゐる。さうして正しく官能に訴へてゐる。けれども官能の骨を透して髄に徹する訴へ方である。甘いものに堪え得る程度を超えて、烈しい刺激と変ずる訴へ方である。甘いと云はんよりは苦痛である。卑しく媚びるのとは無論違ふ。見られるものの方が是非媚びたくなる程に残酷な眼付である。しかも此女にグルーズの画と似た所は一つもない。眼はグルーズのより半分も小さい。
「広田さんの御移転になるのは、此方で御座いませうか」
「はあ、此所です」
女の声と調子に較べると、三四郎の答は頗るぶつきら棒である。三四郎も気が付いてゐる。けれども外に云ひ様がなかつた。
「まだ御移りにならないんで御座いますか」女の言葉は明確してゐる。普通の様に後を濁さない。
「まだ来ません。もう来るでせう」
女はしばし逡巡つた。手に大きな籃を提げてゐる。女の着物は例によつて、分らない。ただ何時もの様に光らない丈が眼についた。地が何だかぶつ/\してゐる。夫に縞だか模様だかある。その模様が如何にも出鱈目である。
上から桜の葉が時落ちて来る。其一つが籃の蓋の上に乗つた。乗つたと思ふうちに吹かれて行つた。風が女を包んだ。女は秋の中に立つてゐる。
「あなたは……」
風が隣りへ越した時分、女が三四郎に聞いた。
「掃除に頼まれて来たのです」と云つたが、現に腰を掛けてぽかんとしてゐた所を見られたのだから、三四郎は自分でも可笑しくなつた。すると女も笑ひながら、
「ぢや私も少し御待ち申しませうか」と云つた。其云ひ方が三四郎に許諾を求める様に聞えたので、三四郎は大いに愉快であつた。そこで「あゝ」と答へた。三四郎の料簡では、「ああ、御待ちなさい」を略した積である。女はそれでもまだ立つてゐる。三四郎は仕方がないから、
「あなたは……」と向で聞いた様な事を此方からも聞いた。すると、女は籃を椽の上へ置いて、帯の間から、一枚の名刺を出して、三四郎に呉れた。