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三四郎 一の三

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三四郎 一の三

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夏目金之助

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 大きな行李は新橋迄預けてあるから心配はない。三四郎は手頃なズツクの革鞄と傘丈持つて改札場を出た。頭には高等学校の夏帽を被つてゐる。然し卒業したしるしに徽章丈はぎ取つて仕舞つた。昼間見ると其処丈色が新らしい。後から女が尾いて来る。三四郎は此帽子に対して少々極りが悪かつた。けれども尾いて来るのだから仕方がない。女の方では、此帽子を無論たゞの汚ない帽子と思つて居る。

 九時半に着くべき汽車が四十分程後れたのだから、もう十時は過つてゐる。けれども暑い時分だから町はまだ宵の口の様に賑やかだ。宿屋も眼の前に二三軒ある。たゞ三四郎にはちと立派過ぎる様に思はれた。そこで電気燈の点いてゐる三階作りの前を澄して通り越して、ぶら/\歩行いて行つた。無論不案内の土地だから何所へ出るか分らない。只暗い方へ行つた。女は何とも云はずに尾いて来る。すると比較的淋しい横町の角から二軒目に御宿と云ふ看板が見えた。之は三四郎にも女にも相応な汚ない看板であつた。三四郎は鳥渡振り返つて、一口女にどうですと相談したが、女は結構だと云ふんで、思ひ切つてずつと這入つた。上がり口で二人連ではないと断わる筈の所を、入らつしやい、――どうぞ御上り――御案内――梅の四番抔とのべつに喋舌られたので、已を得ず無言の儘二人共梅の四番へ通されて仕舞つた。

 下女が茶を持つてくる間二人はぼんやり向ひ合つて坐つてゐた。下女が茶を持つて来て、御風呂をと云つた時は、もう此婦人は自分の連ではないと断わる丈の勇気が出なかつた。そこで手拭をぶら下げて、御先へと挨拶をして、風呂場へ出て行つた。風呂場は廊下の突き当りで便所の隣りにあつた。薄暗くつて、大分不潔の様である。三四郎は着物を脱いで、風呂桶の中へ飛び込んで、少し考へた。こいつは厄介だとぢやぶ/\遣つてゐると、廊下に足音がする。誰か便所へ這入つた様子である。やがて出て来た。手を洗ふ。それが済んだら、ぎいと風呂場の戸を半分開けた。例の女が入口から「ちいと流しませうか」と聞いた。三四郎は大きな声で、

「いえ沢山です」と断わつた。然し女は出て行かない。却つて這入つて来た。さうして帯を解き出した。三四郎と一所に湯を使ふ気と見える。別に恥づかしい様子も見えない。三四郎は忽ち湯槽を飛び出した。そこそこに身体を拭いて座敷へ帰つて、坐蒲団の上に坐つて、少なからず驚ろいてゐると、下女が宿帳を持つて来た。

 三四郎は宿帳を取り上げて、福岡県京都郡真崎村小川三四郎二十三年学生と正直に書いたが、女の所へ行つて全く困つて仕舞つた。湯から出る迄待つて居れば好かつたと思つたが、仕方がない。下女がちやんと控えてゐる。已を得ず同県同郡同村同姓花二十三年と出鱈目を書いて渡した。さうして頻りに団扇を使つてゐた。

 やがて女は帰つて来た。「どうも、失礼致しました」と云つてゐる。三四郎は「いゝや」と答へた。

 三四郎は革鞄の中から帳面を取り出して日記をつけ出した。書く事も何にもない。女がゐなければ書く事が沢山ある様に思はれた。すると女は「一寸出て参ります」と云つて部屋を出て行つた。三四郎は益日記が書けなくなつた。何所へ行つたんだらうと考へ出した。