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三四郎 四の十二

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三四郎 四の十二

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夏目金之助

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 美禰子が掃くあとを、三四郎が雑巾を掛ける。三四郎が畳を敲く間に、美禰子が障子をはたく。どうかかうか掃除が一通り済んだ時は二人共大分親しくなつた。

 三四郎が馬尻の水を取り換に台所へ行つたあとで、美禰子がハタキと箒を持つて二階へ上つた。

「一寸来て下さい」と上から三四郎を呼ぶ。

「何ですか」と馬尻を提げた三四郎が、楷子段の下から云ふ。女は暗い所に立つてゐる。前垂だけが真白だ。三四郎は馬尻を提げた儘二三段上つた。女は凝としてゐる。三四郎は又二段上つた。薄暗い所で美禰子の顔と三四郎の顔が一尺許りの距離に来た。

「何ですか」

「何だか暗くつて分らないの」

「何故」

「何故でも」

 三四郎は追窮する気がなくなつた。美禰子の傍を擦り抜けて上へ出た。馬尻を暗い縁側へ置いて戸を明ける。成程桟の具合が善く分らない。そのうち美禰子も上がつて来た。

「まだ開からなくつて」

 美禰子は反対の側へ行つた。

「此方です」

 三四郎はだまつて、美禰子の方へ近寄つた。もう少しで美禰子の手に自分の手が触れる所で、馬尻に蹴爪づいた。大きな音がする。漸くの事で戸を一枚明けると、強い日がまともに射し込んだ。眩しい位である。二人は顔を見合せて思はず笑ひ出した。

 裏の窓も開ける。窓には竹の格子が付いてゐる。家主の庭が見える。鶏を飼つてゐる。美禰子は例の如く掃き出した。三四郎は四つ這になつて、後から拭き出した。美禰子は箒を両手で持つた儘、三四郎の姿を見て、

「まあ」と云つた。

 やがて、箒を畳の上へ抛げ出して、裏の窓の所へ行つて、立つた儘外面を眺めてゐる。そのうち三四郎も拭き終つた。濡れ雑巾を馬尻の中へぼちやんと擲き込んで、美禰子の傍へ来て、並んだ。

「何を見てゐるんです」

「中てゝ御覧なさい」

「鶏ですか」

「いゝえ」

「あの大きな木ですか」

「いゝえ」

「ぢや何を見てゐるんです。僕には分らない」

「私先刻からあの白い雲を見て居りますの」

 成程白い雲が大きな空を渡つてゐる。空は限りなく晴れて、どこ迄も青く澄んでゐる上を、綿の光つた様な濃い雲がしきりに飛んで行く。風の力が烈しいと見えて、雲の端が吹き散らされると、青い地が透いて見える程に薄くなる。あるひは吹き散らされながら、塊まつて、白く柔らかな針を集めた様に、さゝくれ立つ。美禰子は其塊を指さして云つた。

「駝鳥の襟巻に似てゐるでせう」

 三四郎はボーアと云ふ言葉を知らなかつた。それで知らないと云つた。美禰子は又、

「まあ」と云つたが、すぐ丁寧にボーアを説明してくれた。其時三四郎は、

「うん、あれなら知つとる」と云つた。さうして、あの白い雲はみんな雪の粉で、下から見てあの位に動く以上は、颶風以上の速度でなくてはならないと、此間野々宮さんから聞いた通りを教へた。美禰子は、

「あらさう」と云ひながら三四郎を見たが、

「雪ぢや詰らないわね」と否定を許さぬ様な調子であつた。

「何故です」

「何故でも、雲は雲でなくつちや不可ないわ。かうして遠くから眺めてゐる甲斐がないぢやありませんか」

「さうですか」

「さうですかつて、あなたは雪でも構はなくつて」

「あなたは高い所を見るのが好の様ですな」

「えゝ」

 美禰子は竹の格子の中から、まだ空を眺めてゐる。白い雲はあとから、あとから、飛んで来る。