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三四郎 五の九
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夏目金之助
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菊人形で客を呼ぶ声が、折々二人の坐つてゐる所迄聞える。
「随分大きな声ね」
「朝から晩迄あゝ云ふ声を出してゐるんでせうか。豪いもんだな」と云つたが、三四郎は急に置き去りにした三人の事を思ひ出した。何か云はうとしてゐるうちに、美禰子は答へた。
「商買ですもの。丁度大観音の乞食と同じ事なんですよ」
「場所が悪くはないですか」
三四郎は珍らしく冗談を云つて、さうして一人で面白さうに笑つた。乞食に就て下した広田の言葉を余程可笑しく受けたからである。
「広田先生は、よく、あゝ云ふ事を仰やる方なんですよ」と極めて軽く独り言の様に云つたあとで、急に調子を更へて、
「かう云ふ所に、かうして坐つてゐたら、大丈夫及第よ」と比較的活溌に付け加へた。さうして、今度は自分の方で面白さうに笑つた。
「成程野々宮さんの云つた通り、何時迄待つてゐても誰も通りさうもありませんね」
「丁度好いぢやありませんか」と早口に云つたが、後で「御貰をしない乞食なんだから」と結んだ。是は前句の解釈の為めに付けた様に聞えた。
所へ知らん人が突然あらはれた。唐辛子の干してある家の影から出て、何時の間にか河を向へ渡つたものと見える。二人の坐つてゐる方へ段々近付いて来る。洋服を着て髯を生やして、年輩から云ふと広田先生位な男である。此男が二人の前へ来た時、顔をぐるりと向け直して、正面から三四郎と美禰子を睨め付けた。其眼のうちには明らかに憎悪の色がある。三四郎は凝と坐つてゐにくい程な束縛を感じた。男はやがて行き過ぎた。其後ろ影を見送りながら、三四郎は、
「広田先生や野々宮さんは嘸後で僕等を探したでせう」と始めて気が付いた様に云つた。美禰子は寧ろ冷かである。
「なに大丈夫よ。大きな迷子ですもの」
「迷子だから探したでせう」と三四郎は矢張り前説を主張した。すると美禰子は、なほ冷やかな調子で、
「責任を逃れたがる人だから、丁度好いでせう」
「誰が? 広田先生がですか」
美禰子は答へなかつた。
「野々宮さんがですか」
美禰子は矢っ張り答へなかつた。
「もう気分は宜くなりましたか。宜くなつたら、そろ/\帰りませうか」
美禰子は三四郎を見た。三四郎は上げかけた腰を又草の上に卸した。其時三四郎は此女にはとても叶はない様な気が何所かでした。同時に自分の腹を見抜かれたといふ自覚に伴ふ一種の屈辱をかすかに感じた。
「迷子」
女は三四郎を見た儘で此一言を繰返した。三四郎は答へなかつた。
「迷子の英訳を知つて入らしつて」
三四郎は知るとも、知らぬとも云ひ得ぬ程に、此問を予期してゐなかつた。
「教へて上げませうか」
「えゝ」
「迷へる子――解つて?」