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三四郎 一の六

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三四郎 一の六

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夏目金之助

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 男はしきりに烟草をふかしてゐる。長い烟りを鼻の穴から吹き出して、腕組をした所は大変悠長に見える。さうかと思ふと無暗に便所か何かに立つ。立つ時にうんと伸をする事がある。さも退屈さうである。隣に乗り合せた人が、新聞の読み殻を傍に置くのに借りて看る気も出さない。三四郎は自から妙になつて、ベーコンの論文集を伏せて仕舞つた。外の小説でも出して、本気に読んで見様とも考へたが面倒だから、已めにした。それよりは前にゐる人の新聞を借りたくなつた。生憎前の人はぐう/\寐てゐる。三四郎は手を延ばして新聞に手を掛けながら、わざと「御明きですか」と髭のある男に聞いた。男は平気な顔で「明いてるでせう。御読みなさい」と云つた。新聞を手に取つた三四郎の方は却つて平気でなかつた。

 開けて見ると新聞には別に見る程の事も載つてゐない。一二分で通読して仕舞つた。律義に畳んで元の場所へ返しながら、一寸会釈すると、向でも軽く挨拶をして、

「君は高等学校の生徒ですか」と聞いた。

 三四郎は、被つてゐる古帽子の徽章の痕が、此男の眼に映つたのを嬉しく感じた。

「えゝ」と答へた。

「東京の?」と聞き返した時、始めて、

「いえ、熊本です。……然し……」と云つたなり黙つて仕舞つた。大学生だと云ひたかつたけれども、云ふ程の必要がないからと思つて遠慮した。相手も「はあ、さう」と云つたなり烟草を吹かしてゐる。何故熊本の生徒が今頃東京へ行くんだとも何とも聞いて呉れない。熊本の生徒には興味がないらしい。此時三四郎の前に寐てゐた男が「うん、成程」と云つた。それでゐて慥かに寐てゐる。独言でも何でもない。髭のある人は三四郎を見てにや/\と笑つた。三四郎はそれを機会に、

「あなたは何方へ」と聞いた。

「東京」とゆつくり云つた限である。何だか中学校の先生らしく無くなつて来た。けれども三等へ乗つてゐる位だから大したものでない事は明らかである。三四郎はそれで談話を切り上げた。髭のある男は腕組をした儘、時々下駄の前歯で、拍子を取つて、床を鳴らしたりしてゐる。余程退屈に見える。然し此男の退屈は話したがらない退屈である。

 汽車が豊橋へ着いた時、寐てゐた男がむつくり起きて眼を擦りながら下りて行つた。よくあんなに都合よく眼を覚ます事が出来るものだと思つた。ことによると寐ぼけて停車場を間違へたんだらうと気遣ひながら、窓から眺めてゐると、決してさうでない。無事に改札場を通過して、正気の人間の様に出て行つた。三四郎は安心して席を向ふ側へ移した。是で髭のある人と隣り合せになつた。髭のある人は入れ換つて、窓から首を出して、水蜜桃を買つてゐる。

 やがて二人の間に果物を置いて、

「食べませんか」と云つた。

 三四郎は礼を云つて、一つ食べた。髭のある人は好きと見えて、無暗に食べた。三四郎にもつと食べろと云ふ。三四郎は又一つ食べた。二人が水蜜桃を食べてゐるうちに大分親密になつて色々な話を始めた。