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三四郎 六の十二

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三四郎 六の十二

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夏目金之助

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 よし子は、素直に気の軽い女だから、仕舞にすぐ帰つて来ますと云ひ捨てゝ、早足に一人丘を下りて行つた。止める程の必要もなし、一所に行く程の事件でもないから、二人は自然後に遺る訳になつた。二人の消極な態度から云へば、遺るといふより、遺されたかたちにもなる。

 三四郎は又石に腰を掛けた。女は立つてゐる。秋の日は鏡の様に濁つた池の上に落ちた。中に小さな島がある。島にはたゞ二本の樹が生えてゐる。青い松と薄い紅葉が具合よく枝を交し合つて、箱庭の趣がある。島を越して向側の突き当りが蓊鬱とどす黒く光つてゐる。女は丘の上から其暗い木蔭を指した。

「あの木を知つて入らしつて」といふ。

「あれは椎」

 女は笑ひ出した。

「能く覚えて入らつしやる事」

「あの時の看護婦ですか、あなたが今訪ねやうと云つたのは」

「えゝ」

「よし子さんの看護婦とは違ふんですか」

「違ひます。是は椎――といつた看護婦です」

 今度は三四郎が笑ひ出した。

「彼所ですね。あなたがあの看護婦と一所に団扇を持つて立つてゐたのは」

 二人のゐる所は高く池の中に突き出してゐる。此丘とは丸で縁のない小山が一段低く、右側を走つてゐる。大きな松と、御殿の一角と、運動会の幕の一部と、なだらな芝生が見える。

「熱い日でしたね。病院があんまり暑いものだから、とう/\堪へ切れないで出て来たの。――あなたは又何であんな所に跼がんで入らしつたの」

「熱いからです。あの日は始めて野々宮さんに逢つて、それから、彼所へ来てぼんやりして居たのです。何だか心細くなつて」

「野々宮さんに御逢ひになつてから、心細く御成になつたの」

「いゝえ、左う云ふ訳ぢやない」と云ひ掛けて、美禰子の顔を見たが、急に話頭を転じた。

「野々宮さんと云へば、今日は大変働らいてゐますね」

「えゝ、珍らしくフロツクコートを御着になつて――随分御迷惑でせう。朝から晩迄ですから」

「だつて大分得意の様ぢやありませんか」

「誰が。野々宮さんが。――あなたも随分ね」

「何故ですか」

「だつて、真逆運動会の計測掛になつて得意になる様な方でもないでせう」

 三四郎は又話頭を転じた。

「先刻あなたの所へ来て何か話してゐましたね」

「会場で?」

「えゝ、運動場の柵の所で」と云つたが、三四郎は此問を急に撤回したくなつた。女は「えゝ」と云つた儘男の顔を凝と見てゐる。少し下唇を反らして笑ひ掛けてゐる。三四郎は堪らなくなつた。何か云つて紛らかさうとした時に、女は口を開いた。

「あなたは未だ此間の絵端書の返事を下さらないのね」

 三四郎は迷付ながら「上げます」と答へた。女は呉れとも何とも云はない。

「あなた、原口さんといふ画工を御存じ?」と聞き直した。

「知りません」

「さう」

「何うかしましたか」

「なに、その原口さんが、今日見に来て入らしつてね。みんなを写生してゐるから、私達も用心しないと、ポンチに画ゝれるからつて、野々宮さんがわざ/\注意して下すつたんです」

 美禰子は傍へ来て腰を掛けた。三四郎は自分が如何にも愚物の様な気がした。

「よし子さんは兄さんと一所に帰らないんですか」

「一所に帰らうつたつて帰れないわ。よし子さんは、昨日から私の家にゐるんですもの」