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三四郎 六の十三

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三四郎 六の十三

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夏目金之助

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 三四郎は其時始めて美禰子から野々宮の御母さんが国へ帰つたと云ふ事を聞いた。御母さんが帰ると同時に、大久保を引払つて、野々宮さんは下宿をする、よし子は当分美禰子の宅から学校へ通ふ事に、相談が極つたんださうである。

 三四郎は寧ろ野々宮さんの気楽なのに驚ろいた。さう容易く下宿生活に戻る位なら、始めから家を持たない方が善からう。第一鍋、釜、手桶抔といふ世帯道具の始末はどう付けたらうと余計な事迄考へたが、口に出して云ふ程の事でもないから、別段の批評は加へなかつた。其上、野々宮さんが一家の主人から、後戻りをして、再び純書生と同様な生活状態に復するのは、取も直さず家族制度から一歩遠退いたと同じ事で、自分に取つては、目前の疑惑を少し長距離へ引き移した様な好都合にもなる。其代りよし子が美禰子の家へ同居して仕舞つた。此兄妹は絶えず往来してゐないと治らない様に出来上つてゐる。絶えず往来してゐるうちには野々宮さんと美禰子との関係も次第次第に移つて来る。すると野々宮さんが又いつ何時下宿生活を永久に已める時機が来ないとも限らない。

 三四郎は頭の中に、かう云ふ疑ある未来を、描きながら、美禰子と応対をしてゐる。一向に気が乗らない。それを外部の態度丈でも普通の如く繕ふとすると苦痛になつて来る。其所へ旨い具合によし子が帰つて来て呉れた。女同志の間には、もう一遍競技を見に行かうかと云ふ相談があつたが、短かくなりかけた秋の日が大分回つたのと、回るに連れて、広い戸外の肌寒が漸く増してくるので、帰る事に話が極まる。

 三四郎も女連に別れて下宿へ戻らうと思つたが、三人が話しながら、ずる/\べつたりに歩き出したものだから、際立つて、挨拶をする機会がない。二人は自分を引張つて行く様に見える。自分も亦引張られて行きたい様な気がする。それで二人に食つ付いて池の端を図書館の横から、方角違ひの赤門の方へ向いて来た。其時三四郎は、よし子に向つて、

「御兄いさんは下宿をなすつたさうですね」と聞いたら、よし子は、すぐ、

「えゝ。とう/\。他を美禰子さんの所へ押し付けて置いて。苛いでせう」と同意を求める様に云つた。三四郎は何か返事をしやうとした。其前に美禰子が口を開いた。

「宗八さんの様な方は、我々の考ぢや分りませんよ。ずつと高い所に居て、大きな事を考へて居らつしやるんだから」と大いに野々宮さんを賞め出した。よし子は黙つて聞いてゐる。

 学問をする人が煩瑣い俗用を避けて、成るべく単純な生活に我慢するのは、みんな研究の為め已を得ないんだから仕方がない。野々宮の様な外国に迄聞える程の仕事をする人が、普通の学生同様な下宿に這入つてゐるのも必竟野々宮が偉いからの事で、下宿が汚なければ汚ない程尊敬しなくつてはならない。――美禰子の野々宮に対する讃辞のつゞきは、ざつと斯うである。

 三四郎は赤門の所で二人に別れた。追分の方へ足を向けながら考へ出した。――成程美禰子の云つた通である。自分と野々宮を比較して見ると大分段が違ふ。自分は田舎から出て大学へ這入つた許りである。学問といふ学問もなければ、見識と云ふ見識もない。自分が、野々宮に対する程な尊敬を美禰子から受け得ないのは当然である。さう云へば何だか、あの女から馬鹿にされてゐる様でもある。先刻、運動会はつまらないから、此所にゐると、丘の上で答へた時に、美禰子は真面目な顔をして、此上には何か面白いものがありますかと聞いた。あの時は気が付かなかつたが、今解釈して見ると、故意に自分を愚弄した言葉かも知れない。――三四郎は気が付いて、今日迄美禰子の自分に対する態度や言語を一々繰り返して見ると、どれも是もみんな悪い意味が付けられる。三四郎は往来の真中で真赤になつて俯向いた。不図、顔を上げると向ふから、与次郎と昨夕の会で演説をした学生が並んで来た。与次郎は首を竪に振つたぎり黙つてゐる。学生は帽子を脱つて礼をしながら、

「昨夜は。何うですか。囚はれちや不可ませんよ」と笑つて行き過ぎた。