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三四郎 一の八

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三四郎 一の八

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夏目金之助

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 浜松で二人とも申し合せた様に弁当を食つた。食つて仕舞つても汽車は容易に出ない。窓から見ると、西洋人が四五人列車の前を往つたり来たりしてゐる。其うちの一組は夫婦と見えて、暑いのに手を組み合せてゐる。女は上下とも真白な着物で、大変美くしい。三四郎は生れてから今日に至るまで西洋人と云ふものを五六人しか見た事がない。其うちの二人は熊本の高等学校の教師で、其二人のうちの一人は運悪く脊虫であつた。女では宣教師を一人知つてゐる。随分尖がつた顔で、鱚又はに類してゐた。だから、かう云ふ派出な奇麗な西洋人は珍らしい許りではない。頗る上等に見える。三四郎は一生懸命に見惚れてゐた。是では威張るのも尤もだと思つた。自分が西洋へ行つて、こんな人の中に這入つたら定めし肩身の狭い事だらうと迄考へた。窓の前を通る時二人の話を熱心に聞いて見たが些とも分らない。熊本の教師とは丸で発音が違ふ様だ。

 所へ例の男が首を後ろから出して、

「まだ出さうもないですかね」と言ひながら、今行き過ぎた、西洋の夫婦を一寸見て、

「あゝ美くしい」と小声に云つて、すぐに生欠伸をした。三四郎は自分が如何にも田舎ものらしいのに気が着いて、早速首を引き込めて、着坐した。男もつゞいて席に返つた。さうして、

「どうも西洋人は美くしいですね」と云つた。

 三四郎は別段の答も出ないので只はあと受けて笑つてゐた。すると髭の男は、

「御互は憐れだなあ」と云ひ出した。「こんな顔をして、こんなに弱つてゐては、いくら日露戦争に勝つて、一等国になつても駄目ですね。尤も建物を見ても、庭園を見ても、いづれも顔相応の所だが、――あなたは東京が始めてなら、まだ富士山を見た事がないでせう。今に見えるから御覧なさい。あれが日本一の名物だ。あれより外に自慢するものは何もない。所が其富士山は天然自然に昔からあつたものなんだから仕方がない。我々が拵へたものぢやない」と云つて又にや/\笑つてゐる。三四郎は日露戦争以後こんな人間に出逢ふとは思ひも寄らなかつた。どうも日本人ぢやない様な気がする。

「然し是からは日本も段々発展するでせう」と弁護した。すると、かの男は、すましたもので、

「亡びるね」と云つた。熊本でこんな事を口に出せば、すぐ擲ぐられる。わるくすると国賊取扱にされる。三四郎は頭の中の何処の隅にも斯う云ふ思想を入れる余裕はない様な空気の裡で生長した。だから、ことによると自分の年齢の若いのに乗じて、他を愚弄するのではなからうかとも考へた。男は例の如くにや/\笑つてゐる。其癖言葉つきはどこ迄も落付いてゐる。どうも見当が付かないから、相手になるのを已めて黙つて仕舞つた。すると男が、かう云つた。

「熊本より東京は広い。東京より日本は広い。日本より……」で一寸切つたが、三四郎の顔を見ると耳を傾けてゐる。

「日本より頭の中の方が広いでせう」と云つた。「囚はれちや駄目だ。いくら日本の為めを思つたつて贔負の引き倒しになる許りだ」

 此言葉を聞いた時、三四郎は真実に熊本を出た様な心持ちがした。同時に熊本に居た時の自分は非常に卑怯であつたと悟つた。

 其晩三四郎は東京に着いた。髭の男は分れる時迄名前を明かさなかつた。三四郎は東京へ着きさへすれば、此位の男は到る所に居るものと信じて、別に姓名を尋ね様ともしなかつた。