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三四郎 十の二

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三四郎 十の二

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夏目金之助

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「朽ちざる墓に眠り、伝はる事に生き、知らるる名に残り、しからずは滄桑の変に任せて、後の世に存せんと思ふ事、昔より人の願なり、此願のかなへるとき、人は天国にあり。去れども真なる信仰の教法より視れば、此願も此満足も無きが如くに果敢なきものなり。生きるとは、再の我に帰るの意にして、再の我に帰るとは、願にもあらず、望にもあらず、気高き信者の見たる明白なる事実なれば、聖徒イノセントの墓地に横はるは猶埃及の砂中に埋まるが如し。常住の吾身を観じ悦べば、六尺の狭きもアドリエーナスの大廟と異なる所あらず。成るが儘に成るとのみ覚悟せよ」

 是はハイドリオタフヒアの末節である。三四郎はぶら/\白山の方へ歩きながら、往来のなかで、此一節を読んだ。広田先生から聞く所によると、此著者は有名な名文家で、此一篇は名文家の書いたうちの名文であるさうだ。広田先生は其話をした時に、笑ひながら、尤も是は私の説ぢやないよと断わられた。成程三四郎にも何処が名文だか能く解らない。只句切りが悪くつて、字遣が異様で、言葉の運び方が重苦しくつて、丸で古い御寺を見る様な心持がした丈である。此一節丈読むにも道程にすると、三四町も掛つた。しかも判然とはしない。

 贏ち得た所は物寂びてゐる。奈良の大仏の鐘を撞いて、其余波の響が、東京にゐる自分の耳に微かに届いたと同じ事である。三四郎は此一節の齎す意味よりも、其意味の上に這ひかゝる情緒の影を嬉しがつた。三四郎は切実に生死の問題を考へた事のない男である。考へるには、青春の血が、あまりに暖か過ぎる。眼の前には眉を焦す程な大きな火が燃えてゐる。其感じが、真の自分である。三四郎は是から曙町の原口の所へ行く。

 小供の葬式が来た。羽織を着た男がたつた二人着いてゐる。小さい棺は真白な布で巻いてある。其傍に奇麗な風車を結ひ付けた。車がしきりに回る。車の羽瓣が五色に塗つてある。それが一色になつて回る。白い棺は奇麗な風車を断間なく揺かして、三四郎の横を通り越した。三四郎は美くしい葬だと思つた。

 三四郎は他の文章と、他の葬式を余所から見た。もし誰か来て、序に美禰子を余所から見ろと注意したら、三四郎は驚ろいたに違ない。三四郎は美禰子を余所から見る事が出来ない様な眼になつてゐる。第一余所も余所でないもそんな区別は丸で意識してゐない。たゞ事実として、他の死に対しては、美しい穏やかな味があると共に、生きてゐる美禰子に対しては、美しい享楽の底に、一種の苦悶がある。三四郎は此苦悶を払はうとして、真直に進んで行く。進んで行けば苦悶が除れる様に思ふ。苦悶を除る為めに一歩傍へ退く事は夢にも案じ得ない。これを案じ得ない三四郎は、現に遠くから、寂滅の会を文字の上に眺めて、夭折の憐れを、三尺の外に感じたのである。しかも、悲しい筈の所を、快よく眺めて、美くしく感じたのである。

 曙町へ曲ると大きな松がある。此松を目標に来いと教はつた。松の下へ来ると、家が違つてゐる。向ふを見ると又松がある。其先にも松がある。松が沢山ある。三四郎は好い所だと思つた。多くの松を通り越して左へ折れると、生垣に奇麗な門がある。果して原口といふ標札が出てゐた。其標札は木理の込んだ黒つぽい板に、緑の油で名前を派出に書いたものである。字だか模様だか分らない位凝つてゐる。門から玄関迄はからりとして何にもない。左右に芝が植ゑてある。