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彼岸過迄 第二十五章

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彼岸過迄 第二十五章

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夏目漱石

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 僕はその晩一人東京へ帰った。母はみんなに引きとめられて、帰るときには吾一か誰か送って行くという条件の下に、なお二三日鎌倉に留まる事を肯んじた。僕はなぜ母が彼らの勧めるままに、人を好く落ちついているのだろうと、鋭どく磨がれた自分の神経から推して、悠長過ぎる彼女をはがゆく思った。

 高木にはそれから以後ついぞ顔を合せた事がなかった。千代子と僕に高木を加えて三つ巴を描いた一種の関係が、それぎり発展しないで、そのうちの劣敗者に当る僕が、あたかも運命の先途を予知したごとき態度で、中途から渦巻の外に逃れたのは、この話を聞くものにとって、定めし不本意であろう。僕自身も幾分か火の手のまだ収まらないうちに、取り急いで纏を撤したような心持がする。と云うと、僕に始からある目論見があって、わざわざ鎌倉へ出かけたとも取れるが、嫉妬心だけあって競争心を有たない僕にも相応の己惚は陰気な暗い胸のどこかで時々ちらちら陽炎ったのである。僕は自分の矛盾をよく研究した。そうして千代子に対する己惚をあくまで積極的に利用し切らせないために、他の思想やら感情やらが、入れ代り立ち替り雑然として吾心を奪いにくる煩らわしさに悩んだのである。

 彼女は時によると、天下に只一人の僕を愛しているように見えた。僕はそれでも進む訳に行かないのである。しかし未来に眼を塞いで、思い切った態度に出ようかと思案しているうちに、彼女はたちまち僕の手から逃れて、全くの他人と違わない顔になってしまうのが常であった。僕が鎌倉で暮した二日の間に、こういう潮の満干はすでに二三度あった。或時は自分の意志でこの変化を支配しつつ、わざと近寄ったり、わざと遠退いたりするのでなかろうかという微かな疑惑をさえ、僕の胸に煙らせた。そればかりではない。僕は彼女の言行を、一の意味に解釈し終ったすぐ後から、まるで反対の意味に同じものをまた解釈して、その実どっちが正しいのか分らないいたずらな忌々しさを感じた例も少なくはなかった。

 僕はこの二日間に娶るつもりのない女に釣られそうになった。そうして高木という男がいやしくも眼の前に出没する限りは、厭でもしまいまで釣られて行きそうな心持がした。僕は高木に対して競争心を有たないと先に断ったが、誤解を防ぐために、もう一度同じ言葉をくり返したい。もし千代子と高木と僕と三人が巴になって恋か愛か人情かの旋風の中に狂うならば、その時僕を動かす力は高木に勝とうという競争心でない事を僕は断言する。それは高い塔の上から下を見た時、恐ろしくなると共に、飛び下りなければいられない神経作用と同じ物だと断言する。結果が高木に対して勝つか負けるかに帰着する上部から云えば、競争と見えるかも知れないが、動力は全く独立した一種の働きである。しかもその動力は高木がいさえしなければけっして僕を襲って来ないのである。僕はその二日間に、この怪しい力の閃を物凄く感じた。そうして強い決心と共にすぐ鎌倉を去った。

 僕は強い刺戟に充ちた小説を読むに堪えないほど弱い男である。強い刺戟に充ちた小説を実行する事はなおさらできない男である。僕は自分の気分が小説になりかけた刹那に驚ろいて、東京へ引き返したのである。だから汽車の中の僕は、半分は優者で半分は劣者であった。比較的乗客の少ない中等列車のうちで、僕は自分と書き出して自分と裂き棄てたようなこの小説の続きをいろいろに想像した。そこには海があり、月があり、磯があった。若い男の影と若い女の影があった。始めは男が激して女が泣いた。後では女が激して男が宥めた。ついには二人手を引き合って音のしない砂の上を歩いた。あるいは額があり、畳があり、涼しい風が吹いた。二人の若い男がそこで意味のない口論をした。それがだんだん熱い血を頬に呼び寄せて、ついには二人共自分の人格にかかわるような言葉使いをしなければすまなくなった。果は立ち上って拳を揮い合った。あるいは……。芝居に似た光景は幾幕となく眼の前に描かれた。僕はそのいずれをも甞め試ろみる機会を失ってかえって自分のために喜んだ。人は僕を老人みたようだと云って嘲けるだろう。もし詩に訴えてのみ世の中を渡らないのが老人なら、僕は嘲けられても満足である。けれどももし詩に涸れて乾びたのが老人なら、僕はこの品評に甘んじたくない。僕は始終詩を求めてもがいているのである。