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彼岸過迄 第十九章

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彼岸過迄 第十九章

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夏目漱石

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 敬太郎の好奇心は少し鋭敏になった。

「全体どんな性質の事ですか」

「それは起って見なければ分りません。けれども盗難だの水難だのではないようです」

「じゃどうして失敗らない工夫をして好いか、それも分らないでしょうね」

「分らない事もありませんが、もし御望みなら、もう一遍占ないを立て直して見て上げても宜うござんす」

 敬太郎は、では御頼み申しますと云わない訳に行かなかった。婆さんはまた繊細な指先を小器用に動かして、例の文銭を並べ更えた。敬太郎から云えば先の並べ方も今度の並べ方も大抵似たものであるが、婆さんにはそこに何か重大の差別があるものと見えて、その一枚を引っくり返すにも軽率に手は下さなかった。ようやく九枚をそれぞれ念入に片づけた後で、婆さんは敬太郎に向って「大体分りました」と云った。

「どうすれば好いんですか」

「どうすればって、占ないには陰陽の理で大きな形が現われるだけだから、実地は各自がその場に臨んだ時、その大きな形に合わして考えるほかありませんが、まあこうです。あなたは自分のようなまた他人のような、長いようなまた短かいような、出るようなまた這入るようなものを待っていらっしゃるから、今度事件が起ったら、第一にそれを忘れないようになさい。そうすれば旨く行きます」

 敬太郎は煙に巻かれざるを得なかった。いくら大きな形が陰陽の理で現われたにしたところで、これじゃ方角さえ立たない霧のようなものだから、たとい嘘でも本当でも、もう少し切りつめた応用の利くところを是非云わせようと思って、二三押問答をして見たが、いっこう埒が明かなかった。敬太郎はとうとうこの禅坊主の寝言に似たものを、手拭に包んだ懐炉のごとく懐中させられて表へ出た。おまけに出がけに七色唐辛子を二袋買って袂へ入れた。

 翌日彼は朝飯の膳に向って、煙の出る味噌汁椀の蓋を取ったとき、たちまち昨日の唐辛子を思い出して、袂から例の袋を取り出した。それを十二分に汁の上に振りかけて、ひりひりするのを我慢しながら食事を済ましたが、婆さんの云わゆる「陰陽の理によって現われた大きな形」と頭の中に呼び起して見ると、まだ漠然と瓦斯のごとく残っていた。しかし手のつけようのない謎に気を揉むほど熱心な占ない信者でもないので、彼はどうにかそれを解釈して見たいと焦心る苦悶を知らなかった。ただその分らないところに妙な趣があるので、忘れないうちに、婆さんの云った通りを紙片に書いて机の抽出へ入れた。

 もう一遍田口に会う手段を講じて見る事の可否は、昨日すでに婆さんの助言で断定されたものと敬太郎は解釈した。けれども彼は占ないを信じて動くのではない、動こうとする矢先へ婆さんが動く縁をつけてくれたに過ぎないのだと思った。彼は須永へ行って彼の叔父がすでに大阪から帰ったかどうか尋ねて見ようかと考えたが、自動車事件の記憶がまだ新たに彼の胸を圧迫しているので、足を運ぶ勇気がちょっと出なかった。電話もこの際利用しにくかった。彼はやむを得ず、手紙で用を弁ずる事にした。彼はせんだって須永の母に話したとほぼ同様の顛末を簡略に書いた後で、田口がもう旅行から帰ったかどうかを聞き合わせて、もし帰ったなら御多忙中はなはだ恐れ入るけれども、都合して会ってくれる訳には行くまいか、こっちはどうせ閑な身体だから、いつでも指定されて時日に出られるつもりだがと、この間の権幕は、綺麗に忘れたような口ぶりを見せた。敬太郎はこの手紙を出すと同時に、須永の返事を明日にも予想した。ところが二日立っても三日立っても何の挨拶もないので、少し不安の念に悩まされ出した。なまじい売卜者の言葉などに動かされて、恥を掻いてはつまらないという後悔も交った。すると四日目の午前になって、突然田口から電話口へ呼び出された。