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三四郎 四の七
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夏目金之助
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与次郎の帰つたのは彼是十時近くである。一人で坐つて居ると、何処となく肌寒の感じがする。不図気が付いたら、机の前の窓がまだ閉てずにあつた。障子を明けると月夜だ。目に触れるたびに不愉快な檜に、蒼い光りが射して、黒い影の縁が少し烟つて見える。檜に秋が来たのは珍らしいと思ひながら、雨戸を閉てた。
三四郎はすぐ床へ這入つた。三四郎は勉強家といふより寧ろ徊家なので、割合書物を読まない。其代りある掬すべき情景に逢ふと、何遍もこれを頭の中で新たにして喜こんでゐる。其方が命に奥行がある様な気がする。今日も、何時もなら、神秘的講義の最中に、ぱつと電燈が点く所などを繰返して嬉しがる筈だが、母の手紙があるので、まづ、それから片付始めた。
手紙には新蔵が蜂蜜を呉れたから、焼酎を混ぜて、毎晩盃に一杯づゝ飲んでゐるとある。新蔵は家の小作人で、毎年冬になると年貢米を二十俵づゝ持つてくる。至つて正直ものだが、疳癪が強いので、時々女房を薪で擲る事がある。――三四郎は床の中で新蔵が蜂を飼ひ出した昔の事迄思ひ浮べた。それは五年程前である。裏の椎の木に蜜蜂が二三百疋ぶら下がつてゐたのを見付けて、すぐ籾漏斗に酒を吹きかけて、悉く生捕にした。それから之を箱へ入れて、出入りの出来る様な穴を開けて、日当りの好い石の上に据ゑてやつた。すると蜂が段々殖えて来る。箱が一では足りなくなる。二つにする。又足りなくなる。三つにする。と云ふ風に殖して行つた結果、今では何でも六箱か七箱ある。其うちの一箱を年に一度づゝ石から卸して蜂の為に蜜を切り取ると云つてゐた。毎年夏休みに帰るたびに蜜を上げませうと云はない事はないが、ついに持つて来た例がなかつた。が今年は物覚が急に善くなつて、年来の約束を履行したものであらう。
平太郎が親爺の石塔を建てたから見に来て呉れろと頼みにきたとある。行つて見ると、木も草も生えてゐない庭の赤土の真中に、御影石で出来てゐたさうである。平太郎は其御影石が自慢なのだと書いてある。山から切り出すのに幾日とか掛つて、それから石屋に頼んだら十円取られた。百姓や何かには分らないが、貴所のとこの若旦那は大学校へ這入つてゐる位だから、石の善悪は屹度分る。今度手紙の序に聞いて見て呉れ、さうして十円も掛けて親爺の為に拵へてやつた石塔を賞て貰つてくれと云ふんださうだ。――三四郎は独りでくす/\笑ひ出した。千駄木の石門より余程烈しい。
大学の制服を着た写真を寄こせとある。三四郎は何時か撮つて遣らうと思ひながら、次へ移ると、案の如く三輪田の御光さんが出て来た。――此間御光さんの御母さんが来て、三四郎さんも近々大学を卒業なさる事だが、卒業したら宅の娘を貰つて呉れまいかと云ふ相談であつた。御光さんは器量もよし気質も優しいし、家に田地も大分あるし、其上家と家との今迄の関係もある事だから、さうしたら双方共都合が好いだらうと書いて、そのあとへ但し書が付けてある。――御光さんも嬉しがるだらう。――東京のものは気心が知れないから私はいやぢや。
三四郎は手紙を巻き返して、封に入れて、枕元へ置いた儘眼を眠つた。鼠が急に天井で暴れ出したが、やがて静まつた。