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三四郎 四の十一

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三四郎 四の十一

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夏目金之助

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 名刺には里見美禰子とあつた。本郷真砂町だから谷を越すとすぐ向である。三四郎が此名刺を眺めてゐる間に、女は椽に腰を卸した。

「あなたには御目に掛りましたな」と名刺を袂へ入れた三四郎が顔を挙げた。

「はあ。いつか病院で……」と云つて女も此方を向いた。

「まだある」

「それから池の端で……」と女はすぐ云つた。能く覚えてゐる。三四郎はそれで云ふ事がなくなつた。女は最後に、

「どうも失礼致しました」と句切りをつけたので、三四郎は、

「いゝえ」と答へた。頗る簡潔である。両人は桜の枝を見てゐた。梢に虫の食つた様な葉が僅ばかり残つてゐる。引越の荷物は中々遣つて来ない。

「何か先生に御用なんですか」

 三四郎は突然かう聞いた。高い桜の枯枝を余念なく眺めて居た女は、急に三四郎の方を振り向く。あら喫驚した、苛いわ、といふ顔付であつた。然し答は尋常である。

「私も御手伝に頼まれました」

 三四郎は此時始めて気が付いて見ると、女の腰を掛けてゐる椽に砂が一杯たまつてゐる。

「砂で大変だ。着物が汚れます」

「えゝ」と左右を眺めた限である。腰を上げない。しばらく椽を見廻はした眼を、三四郎に移すや否や、

「掃除はもうなすつたんですか」と聞いた。笑つてゐる。三四郎は其笑の中に馴れ易いあるものを認めた。

「まだ遣らんです」

「御手伝をして、一所に始めませうか」

 三四郎はすぐに立つた。女は動かない。腰を掛けた儘、箒やハタキの在家を聞く。三四郎は、たゞ空手で来たのだから、どこにもない。何なら通りへ行つて買つて来やうかと聞くと、それは徒費だから、隣で借りる方が好からうと云ふ。三四郎はすぐ隣へ行つた。早速箒とハタキと、それから馬尻と雑巾迄借りて急いで帰つてくると、女は依然として故の所へ腰をかけて、高い桜の枝を眺めてゐた。

「あつて……」と一口云つた丈である。

 三四郎は箒を肩へ担いで、馬尻を右の手にぶら下げて、「えゝ、ありました」と当り前の事を答へた。

 女は白足袋の儘砂だらけの縁側へ上がつた。あるくと細い足の痕が出来る。袂から白い前垂を出して帯の上から締めた。其前垂の縁がレースの様に縢つてある。掃除をするには勿体ない程奇麗な色である。女は箒を取つた。

「一旦掃き出しませう」と云ひながら、袖の裏から右の手を出して、ぶらつく袂を肩の上へ担いだ。奇麗な手が二の腕迄出た。担いだ袂の端からは美くしい襦袢の袖が見える。茫然として立つてゐた三四郎は、突然馬尻を鳴らして勝手口へ廻つた。