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三四郎 四の十四
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夏目金之助
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三人は約三十分許根気に働いた。仕舞にはさすがの与次郎もあまり焦つ付かなくなつた。見ると書棚の方を向いて胡坐をかいて黙つてゐる。美禰子は三四郎の肩を一寸突つ付いた。三四郎は笑ひながら、
「おい如何した」と聞く。
「うん。先生もまあ、斯んなに入りもしない本を集めて如何する気かなあ。全く人泣かせだ。今之を売つて株でも買つて置くと儲かるんだが、仕方がない」と嘆息した儘、矢っ張り壁を向いて胡坐をかいてゐる。
三四郎と美禰子は顔を見合せて笑つた。肝心の主脳が動かないので、二人共書物を揃へるのを控へてゐる。三四郎は詩の本をひねくり出した。美禰子は大きな画帖を膝の上に開いた。勝手の方では臨時雇の車夫と下女がしきりに論判してゐる。大変騒しい。
「一寸御覧なさい」と美禰子が小さな声で云ふ。三四郎は及び腰になつて、画帖の上へ顔を出した。美禰子の髪で香水の匂がする。
画はマーメイドの図である。裸体の女の腰から下が魚になつて、魚の胴が、ぐるりと腰を廻つて、向ふ側に尾だけ出てゐる。女は長い髪を櫛で梳きながら、梳き余つたのを手に受けながら、此方を向いてゐる。背景は広い海である。
「人魚」
「人魚」
頭を擦り付けた二人は同じ事をさゝやいだ。此時胡坐をかいてゐた与次郎が何と思つたか、
「何だ、何を見てゐるんだ」と云ひながら廊下へ出て来た。三人は首を鳩めて画帖を一枚毎に繰つて行つた。色々な批評が出る。みんな好加減である。
所へ広田先生がフロツクコートで天長節の式から帰つて来た。三人は挨拶をするときに画帖を伏せて仕舞つた。先生が書物丈早く片付様といふので、三人が又根気に遣り始めた。今度は主人公がゐるので、さう油を売る事も出来なかつたと見えて、一時間後には、どうか、かうか廊下の書物が、書棚の中へ詰つて仕舞つた。四人は立ち並んで奇麗に片付いた書物を一応眺めた。
「あとの整理は明日だ」と与次郎が云つた。是で我慢なさいと云はぬ許である。
「大分御集めになりましたね」と美禰子が云ふ。
「先生是丈みんな御読みになつたですか」と最後に三四郎が聞いた。三四郎は実際参考の為め、この事実を確めて置く必要があつたと見える。
「みんな読めるものか、佐々木なら読むかもしれないが」
与次郎は頭を掻いてゐる。三四郎は真面目になつて、実は此間から大学の図書館で、少し宛本を借りて読むが、どんな本を借りても、必ず誰か目を通してゐる。試しにアフラ、ベーンといふ人の小説を借りて見たが、矢っ張りだれか読んだ痕があるので、読書範囲の際限が知りたくなつたから聞いて見たと云ふ。
「アフラ、ベーンなら僕も読んだ」
広田先生の此一言には三四郎も驚ろいた。
「驚ろいたな。先生は何でも人の読まないものを読む癖がある」と与次郎が云つた。
広田は笑つて座敷の方へ行く。着物を着換へる為だらう。美禰子も尾いて出た。あとで与次郎が、三四郎にかう云つた。
「あれだから偉大な暗闇だ。何でも読んでゐる。けれども些とも光らない。もう少し流行るものを読んで、もう少し出娑婆つて呉れると可いがな」
与次郎の言葉は決して冷評ではなかつた。三四郎は黙つて本箱を眺めてゐた。すると座敷から美禰子の声が聞えた。
「御馳走を上げるから、御二人とも入らつしやい」