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三四郎 五の四
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夏目金之助
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翌日は日曜である。三四郎は午飯を済ましてすぐ西片町へ来た。新調の制服を着て、光つた靴を穿いてゐる。静かな横町を広田先生の前迄来ると、人声がする。
先生の家は門を這入ると、左り手がすぐ庭で、木戸をあければ玄関へかゝらずに、すぐ座敷の縁へ出られる。三四郎は要目垣の間に見える桟を外さうとして、ふと、庭のなかの話し声を耳にした。話しは野々宮と美禰子の間に起りつゝある。
「そんな事をすれば、地面の上へ落ちて死ぬ許りだ」是は男の声である。
「死んでも、其方が可いと思ひます」是は女の答である。
「尤もそんな無謀な人間は、高い所から落ちて死ぬ丈の価値は充分ある」
「残酷な事を仰しやる」
三四郎は此所で木戸を開けた。庭の真中に立つてゐた会話の主は二人とも此方を見た。野々宮はたゞ「やあ」と平凡に云つて、頭を首肯かせた丈である。頭に新らしい茶の中折帽を被つてゐる。美禰子は、すぐ、
「端書は何時頃着きましたか」と聞いた。二人の今迄遣つてゐた会話は、これで中絶した。
縁側には主人が洋服を着て腰を掛けて、相変らず哲学を吹いてゐる。是は西洋の雑誌を手にしてゐた。傍によし子がゐる。両手を後ろへ突いて、身体を空に持たせながら、伸ばした足に穿いた厚い草履を眺めてゐた。――三四郎はみんなから待ち受けられてゐたと見える。
主人は雑誌を抛げ出した。
「では行くかな。とう/\引張り出された」
「御苦労様」と野々宮さんが云つた。女は二人で顔を見合せて、他に知れない様な笑を洩らした。庭を出るとき、女が二人つゞいた。
「脊が高いのね」と美禰子が後から云つた。
「のつぽ」とよし子が一言答へた。門の側で並んだ時、「だから、なり丈草履を穿くの」と弁解をした。三四郎もつゞいて、庭を出様とすると、二階の障子ががらりと開いた。与次郎が手欄の所迄出て来た。
「行くのか」と聞く。
「うん、君は」
「行かない。菊細工なんぞ見て何になるものか。馬鹿だな」
「一所に行かう。家に居たつて仕様がないぢやないか」
「今論文を書いてゐる。大論文を書いてゐる。中々それ所ぢやない」
三四郎は呆れ返つた様な笑ひ方をして、四人の後を追掛た。四人は細い横町を三分の二程広い通りの方へ遠ざかつた所である。此一団の影を高い空気の下に認めた時、三四郎は自分の今の生活が、熊本当時のそれよりも、ずつと意味の深いものになりつゝあると感じた。曾て考へた三個の世界のうちで、第二第三の世界は正に此一団の影で代表されてゐる。影の半分は薄黒い。半分は花野の如く明かである。さうして三四郎の頭のなかでは此両方が渾然として調和されてゐる。のみならず、自分も何時の間にか、自然と此経緯のなかに織り込まれてゐる。たゞそのうちの何所かに落ち付かない所がある。それが不安である。歩きながら考へると、今さき庭のうちで、野々宮と美禰子が話してゐた談柄が近因である。三四郎は此不安の念を駆る為めに、二人の談柄を再び剔抉出して見たい気がした。
四人は既に曲り角へ来た。四人とも足を留めて、振り返つた。美禰子は額に手を翳してゐる。