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三四郎 五の五
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夏目金之助
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三四郎は一分かゝらぬうちに追付いた。追付いても誰も何とも云はない。只歩き出した丈である。しばらくすると、美禰子が、
「野々宮さんは、理学者だから、なほそんな事を仰しやるんでせう」と云ひ出した。話しの続きらしい。
「なに遣らなくつても同じ事です。高く飛ばうと云ふには、飛べる丈の装置を考へた上でなければ出来ないに極つてゐる。頭の方が先に要るに違ないぢやありませんか」
「そんなに高く飛びたくない人は、それで我慢するかも知れません」
「我慢しなければ、死ぬ許ですもの」
「さうすると安全で地面の上に立つてゐるのが一番好い事になりますね。何だか詰らない様だ」
野々宮さんは返事を已めて、広田先生の方を向いたが、
「女には詩人が多いですね」と笑ひながら云つた。すると広田先生が、
「男子の弊は却つて純粋の詩人になり切れない所にあるだらう」と妙な挨拶をした。野々宮さんはそれで黙つた。よし子と美禰子は何か御互の話を始める。三四郎は漸く質問の機会を得た。
「今のは何の御話しなんですか」
「なに空中飛行器の事です」と野々宮さんが無造作に云つた。三四郎は落語のおちを聞く様な気がした。
それからは別段の会話も出なかつた。又長い会話が出来かねる程、人がぞろ/\歩く所へ来た。大観音の前に乞食が居る。額を地に擦り付けて、大きな声をのべつに出して、哀願を逞しうしてゐる。時々顔を上げると、額の所丈が砂で白くなつてゐる。誰も顧るものがない。五人も平気で行き過ぎた。五六間も来た時に、広田先生が急に振り向いて三四郎に聞いた。
「君あの乞食に銭を遣りましたか」
「いゝえ」と三四郎が後を見ると、例の乞食は、白い額の下で両手を合せて、相変らず大きな声を出してゐる。
「遣る気にならないわね」とよし子がすぐに云つた。
「何故」とよし子の兄は妹を見た。窘める程に強い言葉でもなかつた。野々宮の顔付は寧ろ冷静である。
「あゝ始終焦つ着いて居ちや、焦つ着き栄がしないから駄目ですよ」と美禰子が評した。
「いえ場所が悪いからだ」と今度は広田先生が云つた。「あまり人通りが多過ぎるから不可ない。山の上の淋しい所で、あゝいふ男に逢つたら、誰でも遣る気になるんだよ」
「其代り一日待つてゐても、誰も通らないかも知れない」と野々宮はくす/\笑ひ出した。
三四郎は四人の乞食に対する批評を聞いて、自分が今日迄養成した徳義上の観念を幾分か傷けられる様な気がした。けれども自分が乞食の前を通るとき、一銭も投げてやる料簡が起らなかつたのみならず、実を云へば、寧ろ不愉快な感じが募つた事実を反省して見ると、自分よりも是等四人の方が却つて己れに誠であると思ひ付いた。又彼等は己れに誠であり得る程な広い天地の下に呼吸する都会人種であるといふ事を悟つた。