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三四郎 九の八
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夏目金之助
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「御母さんが心配して、長い手紙を書いて寄こしましたよ。三四郎は余義ない事情で月々の学資を友達に貸したと云ふが、いくら友達だつて、さう無暗に金を借りるものぢやあるまいし、よし借りたつて返す筈だらうつて。田舎のものは正直だから、さう思ふのも無理はない。それからね、三四郎が貸すにしても、あまり貸し方が大袈裟だ。親から月々学資を送つて貰ふ身分でゐながら、一度に弐拾円の三十円のと、人に用立てるなんて、如何にも無分別だとあるんですがね――何だか僕に責任が有る様に書いてあるから困る。……」
野々宮さんは三四郎を見て、にや/\笑つてゐる。三四郎は真面目に「御気の毒です」といつた許である。野々宮さんは、若いものを、極め付ける積で云つたんで無いと見えて、少し調子を変へた。
「なに、心配する事はありませんよ。何でもない事なんだから。たゞ御母さんは、田舎の相場で、金の価値を付けるから、三拾円が大変重くなるんだね。何でも参拾円あると、四人の家族が半年食つて行けると書いてあつたが、そんなものかな、君」と聞いた。よし子は大きな声を出して笑つた。三四郎にも馬鹿気てゐる所が頗る可笑しいんだが、母の言条が、全く事実を離れた作り話でないのだから、其所に気が付いた時には、成程軽卒な事をして悪かつたと少しく後悔した。
「さうすると、月に五円の割だから、一人前一円二十五銭に当る。それを三十日に割り付けると、四銭ばかりだが――いくら田舎でも少し安過る様だな」と野々宮さんが計算を立てた。
「何を食べたら、その位で生きてゐられるでせう」とよし子が真面目に聞き出した。三四郎も後悔する暇がなくなつて、自分の知つてゐる田舎生活の有様を色々話して聞かした。其中には宮籠といふ慣例もあつた。三四郎の家では、年に一度づゝ村全体へ十円寄附する事になつてゐる。其時には六十戸から一人づゝ出て、其六十人が、仕事を休んで、村の御宮へ寄つて、朝から晩迄、酒を飲みつゞけに飲んで、御馳走を食ひつゞけに食ふんだといふ。
「それで十円」とよし子が驚ろいてゐた。御談義は是で何所かへ行つたらしい。それから少し雑談をして一段落付いた時に、野々宮さんが改めて、斯う云つた。
「何しろ、御母さんの方ではね。僕が一応事情を調べて、不都合がないと認めたら、金を渡して呉れろ。さうして面倒でも其事情を知らせて貰ひたいといふんだが、金は事情も何にも聞かないうちに、もう渡して仕舞つたしと、――何うするかね。君慥か佐々木に貸したんですね」
三四郎は美禰子から洩れて、よし子に伝はつて、それが野々宮さんに知れてゐるんだと判じた。然し其金が巡り巡つてイオリンに変形したものとは兄妹とも気が付かないから一種妙な感じがした。たゞ「左うです」と答へて置いた。
「佐々木が馬券を買つて、自分の金を失くなしたんだつてね」
「えゝ」
よし子は又大きな声を出して笑つた。
「ぢや、好加減に御母さんの所へさう云つて上げやう。然し今度から、そんな金はもう貸さない事に為たら好いでせう」
三四郎は貸さない事にする旨を答へて、挨拶をして、立ち掛けると、よし子も、もう帰らうと云ひ出した。
「先刻の話をしなくつちや」と兄が注意した。
「能くつてよ」と妹が拒絶した。
「能くはないよ」
「能くつてよ。知らないわ」
兄は妹の顔を見て黙つてゐる。妹は、また斯う云つた。
「だつて仕方がないぢや、ありませんか。知りもしない人の所へ、行くか行かないかつて、聞いたつて。好でも嫌でもないんだから、何にも云ひ様はありやしないわ。だから知らないわ」
三四郎は知らないわの本意を漸く会得した。兄妹を其儘にして急いで表へ出た。